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今年読んだ本は、234冊 (数の並びが覚えやすい)

そのうちで、「催眠」「心理」関係の本は、147冊。
 (この中には小説なども含んでいる)

そして、今年読んだこれらの本の中でベストの1冊は、
☆ Michael D. Yapko 著 'TRANCEWORK' (Brunner-Routledge)

Trancework: An Introduction to the Practice of Clinical HypnosisTrancework: An Introduction to the Practice of Clinical Hypnosis
(2003/08)
Michael D. Yapko

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目次はだいたい以下のようなものだ。

<第一部:概念的枠組み>

 1.催眠とはどういうもので、それは役に立つのか?
 2.催眠についての神話と現実
 3.催眠の概念について
 4.催眠と脳科学
 5.催眠が使われている場面
 6.暗示についての社会心理学
 7.精神に関する諸問題
 8.催眠への反応性について
 9.催眠の現象学
10.催眠セッションを実施するにあたっての諸条件
11.催眠への反応性に対する構造的アプローチ

<第二部:実践的枠組み>

12.暗示を組み立てる
13.催眠を実践する際に有効なヒント集
14.催眠導入:様式的な戦略
15.催眠導入:非様式的、会話的な戦略
16:催眠現象-催眠のためのリソースを活用する
17.催眠的介入をトリートメントにおいて企画し、実践する
18.心理療法において一本に用いられている催眠のパターン
19.トリートメントの力関係、および、
   一般的な問題に対する催眠セッションのサンプルスクリプト集
20.ヴィッキーのケース-末期がんに対する催眠の実例
21.人が思ったように反応してくれないときの対応
22.催眠の危険性と倫理的ガイドライン

最後の索引まで入れると、578ページの本。
英語だが、比較的平易で読みやすい。

「催眠」に関する思い込み、誤解を打ち砕くとともに、
具体的な催眠セッションの組み立て方から
実際に使えるスクリプトまで書かれている。
また、ところどころのコラムには、催眠の歴史上に並ぶ有名人の言葉が書かれていたりする。
(バーバー、ミルトン・エリクソン、マーチン・オーン、ヒルガードなど)

買うときは「5,000円って高いかな~」と思っていたのだが、
実際読んでみると、「これがこんなに安くていいのかな?」と感じた。

この本は、自信をもってオススメ!
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  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
「催眠話法コース」 (Hypnotic Language Course)は、会話の中に催眠的なことばづかいを自然に取り入れられるようになることをねらいとする、メールマガジンによる教育プログラム。イギリスのSalad社が提供している。

今週のテーマは、

[fact] and [fact] and [fact] and ____.

If I state three things that are true, a person is likely to accept the fourth thing as true. You're sitting here, and you're listening to me, and you're breathing in and out, and you're starting to relax. You're playing this game, and you're reading this card, and you're looking at the words and you're continuing to learn. If there are too many ands, just link the phrases together. You're here today, with a purpose in mind, looking at me as you begin to become curious about what you're going to learn.


【今週の催眠話法】

 [事実]そして[事実]そして[事実]そして...


 三つ本当のことを言うと、人は4つめも本当のこととして受け取る傾向があります。 
 
 ・あなたはここに座って、私の言うことを聞いています、
  そして息を吸って、吐いて、リラックスしはじめます。

 ・あなたはこのゲームをしていて、このカードを読んでいます、そして、
  書かれている言葉を読み、学び続けます。

  「そして」の数が多すぎるようなときは、文節をつなげてください。
 
 ・あなたは今日ここに来て、心にひとつの目標を持って、
  私のほうを見ています。
  あなたがこれから学ぼうとしていることを知りたがるのにつれて。


 事実、正しいこと、本当のことを述べる際には、
 分かりきったこと、自明の理といったことから話し始める。 (= truism)

 それが3つ続くことで、聞き手の内面では「そうだ」「そうだ」「そうだ」と、
 話し手の言うことを肯定するようになる。
 これを「イエスセット」と呼んでいる。

 事実のあと、「そして」に続く部分に、
 相手にやってもらいたいことなどを述べる。(この部分が暗示となる。)

  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
今朝は、いつもの通勤電車もすいていた。
多くの人は休みに入っているのだろう。
今年も終わりに近づき、この一年を振り返る時期ともなった。

そこで、Saladのサイトに紹介されている
次のようなワークを試してみてはいかがだろう。
  (注: 以下は要約と一部改変を加え、翻案して訳したもの。
      オリジナルはこちら 
    → Looking Back, Looking Forward, Being Present

    「過去を振り返り、未来を展望し、現在に臨む」

1.今年達成したこと、できたことをすべて書き出す

2.自分の人生において、
  これからもう必要でないもの、欲しくないものをすべて書き出す

3.将来の夢のことを考えて、
  メモに書いたり、絵に描いたり、レコーダーに吹き込む

4.自分の人生において、
  新たに持ち込んだり、取り入れたりしたいものをすべて書き出す

5.来年一年のゴール(目標)設定:
  何をすれば来年のゴールか? ということを書き出す

6.こうして1~5のところで作ったリストを

   1.~2.を自分の左手側
   3.   は自分の正面
   4.~5.は自分の右手側に置き、読み込む。 

     (右手側と左手側の位置関係に違和感があれば、
      自分にとってしっくりくるように逆にしても良い)

   「おめでとう!」 
   
   あなたはこれら多くのことを達成し、来年はさらにこれを実行する♪

7.2~3分、それらを達成した感覚にひたり、静かに座っている

8.今年達成したこと、できたことについては、
  しっかりとした現実のことだと実感するとともに、
  来年達成すること、新たな経験なども実現可能であるとわかるだろう。
  それを現実のものとして実感しながら、
  自分が今、この瞬間にここにいるということを確認してみよう
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
最近(12月25日)のニュースから:

入院中だった1歳10カ月の五女の点滴に腐敗した液体を混入したとして、殺人未遂容疑で岐阜県関市の無職の女(35)が逮捕された事件で、五女は11月27日に胃腸炎で同県内の病院に入院し、直後から重い感染症を起こしていたことが24日分かった。今月2日に五女を受け入れた転院先の京都大学付属病院(京都市左京区)は「何らかの人為的な混入があり、感染症にかかったのではないか。転院時にはすでに重い症状だった」としている。
 女は京都府警の調べに「これまでにもやった」と供述しているといい、府警は、女が以前から同様の行動を繰り返していた疑いがあるとみて調べている。
 京大病院によると、五女は転院後の検査で通常は血液中に存在しない複数種の細菌が検出され、症状が悪化したため7日から集中治療室(ICU)に入った。
 一方、五女の転院直後から女の行動に不審な点があったため、病院側が11日に府警に連絡。12日以降、ICUのビデオカメラの映像を録画し、注意を払ったところ、22~23日に、女がカメラに写らない角度で点滴につながる管を隠し、五女を抱きながらポケットから物を取り出す様子を確認。府警が事情を聴いたところ注入を認め、所持品から複数の注射器が見つかった。
 女は、1日2回の面会時間には必ず訪れ、五女を長い時間抱くなど熱心に看病し、離れたくない様子だったという。府警は、女が、子供などをわざと傷つけて看病するような行動がみられる「代理ミュンヒハウゼン症候群」だった可能性があるとして、動機や経緯を慎重に調べている。


この「ミュンヒハウゼン」だが、1951年にイギリスの医師、リチャード・アッシャーが、自分に周囲の関心を引き寄せるために虚偽の話をしたり、自らの体を傷付けたり、病気を装ったりする症例について、
ビュルガーの著作、「ほら吹き男爵」の主人公であるミュンヒハウゼン男爵の名前をとってつけたもの。すなわち、人名に由来するものである。
なお、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」とは、自分以外を傷つけ、周囲の関心を引き寄せるというもの。

原因は不明だが、周囲の関心や同情を集めることで本人の心が満たされるとも考えられている。繰り返し行うことで自己暗示がかかり、本人も虚偽なのか本当なのか分からなくなることがある。

なお、ミュンヒハウゼン男爵は実在の人物。wikipediaに詳しく書いてある。

wikipedia ミュンヒハウゼン男爵

「ほらふき男爵の冒険」を原作として、テリー・ギリアム監督と「モンティ・パイソン」のチームにより1989年に映画化されたのが「バロン」という映画。
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また、「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の方だが、M・ナイト・シャマランが監督し、ハーレイ・ジョエル・オスメントとブルース・ウィリスの共演による「シックスセンス」(1999年)の中で描かれているシーンがある。この作品については、まだ見ていない人のことを考えるとあまり語らない方が良いので、最後の方の「あのシーン」とだけ書く。
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「バロン」      : ちょっと毒のあるバカバカシイ映画が好みであれば向いている。特撮は当時話題。
「シックスセンス」 : この映画はオススメ! (ただし、一応ホラー映画) 映像は、監督のある色へのコダワリが貫かれている。
  • このエントリーのカテゴリ : 映画
【スタンフォード監獄実験】

1971年、スタンフォード大学で、フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)らが行った実験。
普通の人が役割を与えられると、その役割を演じようとして行動してしまう事を証明しようとしたもの。

・新聞広告を見て応募した協力者の中から、中流の白人で、性格的な偏りがなく、情緒的にも安定した健康な男子大学生21人を選抜。 11人が看守役、10人が囚人役を割り当てられた。

・舞台となった監獄はスタンフォード大学の地下実験室を改造したもので、窓も時計もなく、また、独房も設けられた。

・看守役はカーキ色の制服、サングラスといういでたちで、警笛・警棒・手錠と扉の鍵を与えられた。

・囚人役は本物そっくりに逮捕されるところから始まる。監獄に入るプロセスも正式なものと同様。そして、囚人服を着せられ、常に番号で呼ばれた。

・実験が始まると、看守役も囚人役も、特に何を言われたというわけでもないのに、各々の役割にすぐに入り込んだ。看守役は支配的、攻撃的になり、囚人役は服従的、無気力となった。看守役の行動はエスカレートし、囚人役に対して侮辱的な言葉を投げたり、屈辱感を与える行為を強制したりした。ついには、実験において禁止されていた暴力までふるうようになった。

・囚人役の心理状態は悪化。無気力で何の反応も示さなくなった。実験がはじまって2日目、10人のうちの5人が抑うつ症状を示し、その中の4人がますます情緒不安定となった。

ジンバルドーは、人が権威的な役割を与えられると、元々の性格とは関係なくそれを行使するようになると説明している。また、この実験においては、制服による没個性化(個人の人格を無視する)現象が見られるとともに、制服が役割関係を明確にし、それに象徴される支配-服従の関係が内面にも影響を与え、人の言動や精神状態を左右することが示されている。

以下は、ジンバルドー自身がこの実験について語ったビデオ。
「きまりごとだから」とか「チームの一員として」だとかの理由で、個人が「私に責任があるのではない」と思うようになると、普段は行い得ないような悪をなすことも可能だと話している。
 (この点では、ミルグラムの実験と同様の趣旨だと思われる。)

途中、実験に参加した看守役と囚人役の二人が会話する場面もある。
囚人役が「君はいいやつだとわかっていたんだよ」という箇所、その言葉への看守役の反応に注目。
ところどころ、実際の実験のシーンも織り込まれている。



また、以下のサイトには実験の内容が詳しく記述されている。
 スタンフォード監獄実験公式サイト(英語)

この実験をもとにして、ドイツ映画 「es (エス)」 (日本公開時のタイトル。ドイツ語ではDas Experiment (実験)というもの。)が2001年に製作され、2002年に日本でも公開されている。
自分のこころを見つめ、自分と対話しながら観ると良いと思われる。



  • このエントリーのカテゴリ : 心理
【ミルグラム実験】 
  ナチスの命令になぜ人は従ったのかということを検証するため、
 以下のような実験が、スタンレー・ミルグラムにより、
 1961年に行われた。

・「罰が記憶に及ぼす効果を測定する」ということで実験が行われる。

・サクラ(役者)がイスにしばりつけられ、単語のテストをさせられ、
 答えを間違えるたびに電気ショックを与えるよう指示される。

・電気ショックの強さは、15ボルト~450ボルト。(15ボルトきざみ)

・まず、実験開始前には45ボルトの電気ショックを体験させられる。
 (これだけは本当の電気ショック)

・答えを間違えるごとに電気ショックの強さを上げていく。

・途中で「やめたい」という人に対しては、教授役が
 「これは大事な実験だから続けなければならない」という。


1.白黒にして、臨場感を再現しようとした版。



 65%が最後の450ボルトまで電気ショックを与え続けた。
 誰も300ボルトになるまで、何の抗議もしなかった。
 というテロップが流れる。

2.ダレン・ブラウン版



半分以上の人が450ボルトまで電気ショックを与えたとのこと。
オリジナルのミルグラムは20~50歳のアメリカ人男性を対象に
したものであり、女性が入っていなかったので女性を対象と
したかったらしい。 結果は、ビデオで見るとおり相当激しいことになっている。


ダレン・ブラウン版には、比較的早期に実験を中断する人の様子も
出ているのだが、あなたは、自分の意志で実験を止めることが
できるだろうか?
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
女性語: 女性の使う言葉。
      意外にもその歴史は江戸後期~明治期に発するという。

======================================
wikipedia 「女性語」

現代の日本で一般的に認識されている女性語の起源は、明治時代の有産階級の女学生から広まった言葉遣い「てよだわ言葉」である。

=======================================
      
平安期などの古典、例えば今昔物語や伊勢物語を読んでも、
使う言葉については、男女間で差がないように感じられる。

それが明治期を境として、男性語と女性語に分けられるようになった。
性差、役割を固定化しようとしたのだろうか。

日々使うものであるだけに、言葉の影響は大きい。
性差を意識・無意識に刷り込んでしまうことになる。
これを持ち込んだのは、いったい誰なのだろう?
言葉を使うことによって、自然と習慣づけてしまうという巧みな
心理操作となっている。

そして現在、言葉の乱れということが指摘されている。
女子高生などを中心に、従来の男性語もよく使われているようだ。
それには、女性の社会進出という社会背景も影響したのか。
あるいは、固定化された役割に対する反発であるのか。

ますます多様化する社会のありかたに対応して、
部分社会で使用される言葉も多様化していくようにも思われる。
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
催眠という名前がついていて、しかもあくどいので、
その手口と、私たちがとり得る防衛術を考えてみた。

<手口>
ぽっかりできたビルのフリースペースに、あたかも事務所のような格好で会場が設営される。特に高齢者を狙って、ティッシュだとかラップなどを無料で配布しているからと言って釣りこむ。そして、「これ、タダです。欲しい人?」などといってまず「はい」と言わせる。会場が「はい!」の嵐で熱気を帯びたころ、羽毛布団のような高額商品を提示、「これがこんなに安いですよ!欲しい人?」と声をかけて冷静な判断力を失っている人に「はい!」と言わせる。
買い手に残るものは、値段に見合わない商品とクレジットの借金…  
悔しさ(Priceless)

<この商法について>
 この商法を大々的にはじめたのは、「新製品普及会」。昔は新製品のSと普及会のFをとって、SF商法と呼ばれたりもしていた。テキヤであった島津幸一(故人)が考案した商法で、数十年同じやり方だけれども、被害者は後を絶たない。

<島津幸一について>
催眠商法の考案者。もとはテキヤ。
ジョセフ・マーフィーの「マーフィーの黄金律」などの紹介者として知られるほか、アーク・インターナショナル(悪名高い自己啓発セミナー)会長、
また、「マルチの教祖」として知られている。
こうして見るとニューソート思想、ニューエイジ思想のオンパレード?

<防衛術>
(1)まず、ついていかない。
  この世知辛い世の中にそんなにウマイ話が転がっているはずがない。
(2)「失敗した」と思っても、クーリング・オフという制度で、
  契約書を受け取った日から8日以内であれば解約できる。
  この8日間というのは、最低でも1日の日曜日を含んでいる。
  家族で話す機会として考えられている。冷静な人と話すべし。
  クーリング・オフをやるときの安価な方法のひとつとして、
  「内容証明郵便」がある。
  解約の意思表示をする内容の手紙コピーを2通。
  相手に1通、郵便局が1通、自分の控えが1通という具合。

「はい!」「はあ~い!」「ハイッ!」と「Yes」の答えを引き出そうとするのが常套手段。いったん「Yes」と口を開いて、それを何回か繰り返すと、なぜだか「No」といい難くなる。これを「イエスセット」と呼んでいるが、そんなのに封じ込まれて、身動きできないハメになるととんでもないことになる。
これのもうちょっと柔らかい形も出ているようなのでご注意を。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
「催眠話法コース」 (Hypnotic Language Course)は、会話の中に催眠的なことばづかいを自然に取り入れられるようになることをねらいとする、メールマガジンによる教育プログラム。

NLPトレーナー、Jamie Smartが設立した Salad というイギリスの会社が無料で提供している。当然同社の広告活動なのだが、なんと言っても無料なので今週から始めることにした。

今週のテーマは、

...said "____".

I'm just reporting what they said, so there's nothing for your conscious mind to resist. My friend Joe said to me, "Enjoy all the moments of your life". And my friend Anne said "It's easy for you to drop into a nice deep trance". One of my teachers once said, "Learn to use hypnotic language", so I did!


(今週の催眠話法)

誰それが 「・・・・・」と言った。

私は単に彼らが言ったことを伝えているだけ。だから、あなたの意識が抵抗することはない。

 ・友達のジョーが私に、
  「あなたの人生のすべての瞬間を楽しみなさい」と言った。

 ・友達のアンが「あなたにとって、素敵な深いトランスに落ちて行くのはたやすいことです」と言った。

 ・私の先生の一人が昔、「催眠的言語を使うのを学びなさい」と言った。 だから私は学んだ!


ポイントは、人が何か言ったことに対するその受け手側の反応。

 「私はAだと思う」 というのではなく、「誰それがAだと言っていた」と言うことで、「私」は客観的な立場をとりながら、実は私の言いたい「A」を伝えている。

 前者だと意見の主張なのだが、後者だと報告ということになる。
 人は他人の主張よりも報告の方を受け入れやすい。
 それは、自分の自由意思を大事にするからだろう。報告ならば、
 それを是とするか非とするかは自分の意思が決めることになる。
 この話法は、そうした抵抗を回避するテクニックを示したものだ。

Salad のサイト : このコースへの申込用のリンクなどもある
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
 「和風」の暗示について、ひとまずまとめてみよう。

そう思った時のキーワードが、「連歌」。

 連歌とは、上の句 「5・7・5」 と下の句 「7・7」を
交互に別の人が詠み、全体として一つの長い歌を作って楽しむゲーム。
鎌倉時代くらいから広まったということである。
そして、その起源は「万葉集」にさかのぼることができる。

短歌が「5・7・5・7・7」の31文字であるのに対し、
連歌は「5・7・5・7・7」×100 が普通の形。
   (他にも、×36 とか ×50 とかの形がある。 
    それだけみたら激辛カレーみたいだけれど。)
「短歌」に対しては、「長歌」の一タイプという位置づけとなる。
 
 <豆知識>  
  連歌の最初の句を「発句」というが、
  ここから「俳諧」、「川柳」、そして「俳句」が派生した。
  また、最後の句は「挙句」と呼ぶ。 → 「挙句のはてに」

「和風」の暗示というとき、和歌が作り上げる豊かなイメージ、
日本人のDNAに染みついた 「5・7・5・7・7」の言語リズム、
それでいて短歌では語りきれない内容も、句を重ねることで
十分表現できる。 このあたりがメリットである。

 「長歌」でも似たようなことができるのだが、「連歌」は、
一人でやるのではなく、必ず数人で、
「前の人の句」の世界をきちんと受け止めたうえで、
自分のアイデアをのせた句を詠い、変化を与え、
しかもそれが全体として調和したものとなるのを
「挙句のはてに」振り返って眺めてみるのが楽しいのである。

 このあたりは、SNSなどの面白いスレッドと同じ感覚だと思われる。
あの人が突然コンナことを言い出したり、それに対してまた違う変化が
あらわれたりといったことと似ているようにも思われる。

 それから、インプロにも通じるところがあるような…
「連歌」も基本的に即興の文学で、その場で作る(できる?)ものだから。
このあたりは、インプロの歴史が、16世紀ごろにイタリアで流行した
”コメディア・デラルテ”、”コメディア・アル・インプロヴィッソ”で広まった
ことや、その起源を古代にもとめることができるのと似ているような
気がする。


長歌 ( <「5・7・5・7」×α>+「7」> )タイプの暗示文は
ひとりで練習するとして、
連歌 (「5・7・5・7・7」 × β) タイプだととっつきやすい
ような気もするので、
何人かでしかできない「連歌」タイプの暗示文を作って楽しむのも
良いのではないかとも思う。
途中であれこれと話をしながらというのもいいかな。

別に連歌にこだわらなくても、(その3)で書いたみたいに
七五調のラップにしても良いかもしれない。
 (その1)(その2)で書いたような言葉の伝え方については
ちょっと注意しながら…

そんなことを考えながら、
いつもの暗示文にちょっと変化をつけてみる方法を
「和風」というキーワードで検討してみた。

みんなで「和風」タイプの「連歌」暗示文、作ってみませんか?



【連歌についての参考情報】

日本文化いろは事典より 「連歌」

wikipedia 「連歌」

wikipedia 「長歌」
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この数日、「和風」の暗示について考えてきたが、
今日はその幕間として、一休みして別のことを考えてみる。

インプロ(即興演劇)というものがある。
演劇の話だから、幕間にはちょうど良いだろう♪
(ただ、このインプロには一般的な劇のような幕間はないのだけれど…)

このインプロ、シナリオなし、事前の打ち合わせなし。
だから、舞台の上に立っているパフォーマーは、
お互いに他のパフォーマーが何を言ったり、
どんなことをするかがわからない。

そして、観客からもらった一語、例えば「宇宙」とか、
「海岸にビンが流れ着いた」といった言葉から、
まず一人が自分の連想した言葉でセリフを言い、アクションする。
   (「宇宙」なら、「宇宙刑務所暮らしも長くなったな~」とか、
   「なんだ、このビンの中に、手紙が入っているじゃないか!」など)

周りのパフォーマーは、互いに他のパフォーマーを引き立てるための
アクションをし、その状況をうけとめて次に自分のセリフを展開する。
   (宇宙刑務所の看守になって
      「ジョン、おまえもこの5年、まじめにつとめてきたなあ。」とか
    ビンを見つけた人の奥さんになって
      「なんだかロマンチックね。ねえ、開けてみましょうよ」など)

  【基本的なルール】

   ・相手のオファー(言ったセリフ、アクション、状況設定など)を
    うけとめて、それを肯定しながら、それに自分のアイデアを
    加えていく。
 
   ・相手の言うことを良く聞く、相手のやることを良く見る。
    (これができないと、前後がつながらずチグハグになる)
    
   ・相手が何を言うかわからないので、その気持ちをはかったり
    するためにアイコンタクトが重要になる。

   ・一人がセリフを言ったり、アクションをしたりするときに、
    他のパフォーマーは、それをサポートするアクションを行う。
    逆に、一人だけ「目立ちたい」というのもなし。
    一人ずつ、自分のセリフを言い、アクションを見せる。

そして、インプロをやるための基礎トレーニングとして「インプロゲーム」
というものがある。
   
  その中の「ワンワード」という基本的なゲーム。

  一人ずつ、一文節ずつ言葉を話す。

  A: 「むかしむかし」
  B: 「あるところに」
  C: 「おじいさんと」
  D: 「おばあさんが」
  E: 「すんでいました」
  F: ………         といったように。
 そして物語を展開する。

このまま行くと「桃太郎」なのだが、それをそのまま話しても良いし、
「桃太郎」が一旦は鬼とツルんで悪行ざんまいをし、
それを見かねたイヌが、本来なら犬猿のなかのサルに
「何とかしようよ」と言って、次にキジをさそって「チーム・ピーチ」を
作るといった展開でも良い。 (自由にイメージを広げると楽しい♪)

  それが暗示とどう関係あるかって?

 ひとことで言うと、このインプロにおいて、一人のセリフやアクションは
そのイメージ世界を規定する暗示になっているところ。
他のパフォーマーはその暗示に従って言葉を発しアクションをとるが、
それが次々と、わずか数秒の間の判断でなされるということ。

 それから、一人ひとりのセリフだけでなく、全体として世界や
ストーリーが描かれるということ。 
また、小道具などもそれ専用ではなく、
例えば単なる布を「これは身につけると透明になるマントだ」と
いった「見たて」をして使う。その同じ布が地図になったりもする。
(メタファーなどといったこと)

 パフォーマーも、観客も、その暗示世界の中で
 笑ったり泣いたりする。そういうところだ。

見方によっては、瞬間的に作られた暗示文の連続で成り立っている
演劇ということもできる。
 
  まあ、これは暗示中毒患者の見方かも知れない。
  でも、単なる会話にしてみても、このインプロの考え方が
  コミュニケーション上とても役立つように思われる。

それを「和風」の暗示に取り入れるには…
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「和風」の暗示 リズム論
  
「和風」といえば 七五調
演歌の多くは 七五調
八代亜紀の    「舟歌」も
これは演歌じゃ  ないけれど
「ギザギザハート」の チェッカーズ

歌舞伎のせりふも 七五調
お笑い芸人   「あるある」も 
なぜだかラップも リズム良く
調子が合うのも  素敵だYo!

 ホントに不思議  このリズム
 こころに響く   このリズム
 ちょっと軽くは  なるけれど
 いつかしみ込む  その歌詞も

 十七文字の    俳句とか
 三十一(みそひと)文字じゃ 足りないが
 七五を重ねりゃ  語られる
 そして語った   その言葉
 なぜだか耳に   残るのさ
 えらい教授の   言うことにゃ
 記憶のマジック  7という 
     
 だから標語の  多くには
 自然と七五が  多くなる
 覚えやすくて  忘れない
 伝えやすくて  語られる  
 
 リズムに乗せて  心地よく
 無我の境地に   誘いたい 
 あの子もこの子も 夢ごこち
 魔法の言葉で   夢の中  

「和風」の暗示を するときに
試してみたい 七五調


(参考):「記憶のマジックナンバー 7±2」
  * 日本語の解説と、リンク先に原文あり。
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「和風」の暗示の弱点は何だろう? と考えてみる。
ひとつ思い浮かぶのが、「約束ごとを知らないと意味が通じにくい」
ということ。

例えば 「花」という言葉が「桜の花」を指すという約束ごと
(これは平安時代くらいから。奈良時代は「花」といえば「梅の花」)
「紅葉」にしても、漢字で書くと「紅変した楓の葉」のイメージとなるが、
「もみぢ」だと、木や草の葉が赤や黄に色づくこと。また、その葉。
『万葉集』では大部分が「黄葉」の字を、
平安時代以降は「紅葉」を当てる。(全訳読解古語辞典) という解釈
もあり、かならずしも赤ではない。

31文字という少ない字数であるから、
作者の思い浮かべたイメージと読み手が受け取るイメージが
異なってしまうと取り返しの付かないくらい
意味が通じなくなる可能性がある。

また、「約束ごと」の一例として、枕詞というのがある。

あしびきの → 山
(あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む)

あをによし → 奈良 (花札にありますね)

たらちねの → 母 (落語:「たらちね」でおなじみ)

ひさかたの → 天、光など
(ひさかたの光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ)

などであるが、「たらちねの」とくれば続くのは「母」とか
「親」という決まりごと。
枕詞によって言葉の意味する世界を限定しているとも解釈できる。
もともと枕詞にも意味は有ったのだろう。
「たらちね」は「垂れる乳の根」というように。
ところが、次第に歌の中において意味を失ってしまい、
単に次にでてくる言葉を導き出すための導入句となってきた
傾向が見られる。
(「あしびきの~」の歌は、山鳥の尾のような長い夜を
ひとりで寝たという意味で、
「あしびきの」自体に深い意味はない。)

こうした約束ごとを知っている人にとって、
和歌の世界は凝縮された中に広がりを持つ
世界となると言えるだろうが、それを共有していない人にとっては、
やはりわかりにくいだろう。

「花」は、平安期の日本人ならば 「桜」とイメージし、
ビクトリア朝のイギリス人ならば 「バラ」とイメージするはずだ。

また、「ひさかたの」 を英訳しようとするとき
「お久しぶりの」なんて訳そうものなら、
とんだ誤訳になってしまう。
かといって、31分の5も使った言葉、むげにもできない。


実は、こうした点が日本人同士のコミュニケーションと
異文化コミュニケーションとの違いである。
日本人は、文化体系をコミュニケーションにおいても当然共通のものと
して話をしがちで、説明が少ない。
「文脈」「空気」などは当然読めるものとして
コミュニケーションをしがち。
(これは高コンテクスト文化と呼ばれる。コンテクスト=文脈)
ところが、共通体験や共通の意味体系を持たない
異文化に属する人にとっては、省略が多すぎてわからないのである。
外国の小説、例えばアメリカの小説などを読んでいて、
ときおり記述がくだくだしく感じることはないだろうか?
これは、伝える側が「これくらい説明しないと、受け手が理解
してくれない。」という心理 を持っているから、
そのようなコミュニケーションとなるのだ。
(高コンテクスト文化に対する低コンテクスト文化)

このあたりが、暗示文を考えるときに難しいところ。
現代日本人も、人によって高コンテクストタイプ、
低コンテクストタイプがあるので、
いずれにしても個性的にならざるを得ないのではないかと思う。

でも、「和風」の暗示、なんとか考えてみたい。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
  「和風」の暗示とはどんなものであろうかと考えてみる。
 まず、既存の実例を探そうと思ったときに思い出したのが次の和歌。

   新古今和歌集  三百六十三番  藤原定家

        見わたせば花も紅葉もなかりけり 
              浦のとまやの秋の夕ぐれ

 わずか31文字の暗示文ではあるが、
 多くの人の心の中には、この上の句17文字で、
   左手には桜の花びらが霞か雲かのように広がって
   右手には色鮮やかな紅葉が燃えるかのように広がって見えたはずである。

 それを「なかりけり」として否定するのであるが、
 ここは公式どおり、「潜在意識は否定語を受け付けない」。
 また、桜と紅葉という季節の違った彩りを
 同時に見ているということにもなる。
 経験上はありえなくとも、人の心はイメージすることができるから。

 そして、歌は下の句へと続く
   
   「浦のとまや」では、
   さびれた漁村のみすぼらしい小屋が見えるだろう。
   ほぼ無彩色と言っても良い。
   色があるとすれば薄汚れた、あるいはくすんだ灰色と茶色だ。

 上の句で暗示された桜の「ピンク」、紅葉の「真紅」とは
対照をなしている。

 これだけでも対比の妙を描いた素晴らしい表現ということが
できるだろう。
 ところが、そこに留まっていないことが定家のすごいところ。

 結句、「秋の夕ぐれ」には、背景一面のあかね空が広がっている。
 31文字の間に、2回のどんでんがえし!
 そして上の句の「ピンク」「真紅」とも違う「あかね色」の赤の対比。 
 視覚優位タイプの人は、定家の創ったイメージの世界に浸り、
 夕映えの光を全身に浴びていることだろう。

 それだけではなく、まだある。
 光景を歌った歌としてだけでも秀逸であると感じられる歌であるが、
 定家の目には光景だけではなく、
 「貴族社会の没落」が見えていたのだ。
 光景を歌っていながら、その内容が暗示するものは、
 うらぶれていく貴族社会の夕ぐれであった。 
 すなわち、この歌全体でメタファー(隠喩)となっていると解釈される。

 わずか31文字でイメージ世界を創造し、そこにメタファーを織り込む。
 日本の伝統の中には、そんな「和風」の暗示が息づいている。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
昨日ニューソートのことを書いたので、
ついでに、ニューエイジについてちょこっとだけ…

ニューエイジ思想、ニューエイジ運動(ムーブメント)などとして
語られることが多いのだけれど、旧来のキリスト教に
対抗するカルチャーととらえればわかりやすいかも知れない。

 そもそも ’ニューエイジ’について、
 
この呼称は占星術に由来し、地球の歳差運動によって黄道上を移動し続けている春分点が、ちょうど20世紀の後半に、黄道十二星座のうお座からみずがめ座に入ることによる。

春分点がうお座にあった時代は、ほぼキリスト生誕から現在までの約2000年間と重なるが、たまたまキリスト教には、イエスを魚によって象徴させる慣わしがある。
このことから、「ニューエイジ」という言葉には、
今こそ既存の西洋文明・キリスト教の支配する時代が終息し、
自由で解放された「新時代」(=みずがめ座の時代)の幕が開いた、
という意味が込められている。    
                       (wikipediaより)

ロック・ミュージカル、「ジーザス・クライスト・スーパースター」の中で
歌われ、フィフィス・ディメンションでヒットした‘The Age of Aquarius’
という曲にはそういう意味がある。
  
  アメリカ西海岸を中心としたヒッピー・ムーブメントや
  ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間可能性運動)との
  結びつきも強く、
  
  ・脱西欧文明 (例えば 鈴木大拙 「禅」や霊気とか、
              輪廻転生、ヨーガ、気功など)
  ・ポジティブ・シンキング
  ・チャネリング
  ・スピリチュアリズム 

などは目に付く特徴であるようだ。
そのうちのいくつかはかなりオカルトに近いように感じられる。

なお、前世療法の代表的な文献としてよく知られている、
 ブライアン・ワイス 「前世療法」「前世療法2」 (ともにPHP文庫)
は、ニューエイジャーのテキストブックみたいにして使われたようだ。

[前世療法 ブライアン・ワイス]


科学においても宗教においても、西欧文明の行き詰まりが
感じられた社会背景において発生してきた。
その運動の中心のひとつとなっているのが「エサレン研究所」。
エサレン研究所は、スタンフォード大学の同級生であった
マイケル・マーフィーとリチャード・プライスの2人によって
1960年代初頭に設立された。
前者は宗教的関心が、後者は精神病理的な関心があったという。
アブラハム・マズロー、フリッツ・パールズ、アラン・ワッツ、
カール・ロジャース、グレゴリ-・ベイトソン、アイダ・ロルフウィリアム・ライヒ、
カルロス・カスカネダ、ジョン・C・リリー等
が相次いで滞在し、様々な実験的・体験的ワークショップを開催している。

例えばエサレン研究所創始者の二人について見ても、
東洋の宗教や哲学に強い関心を抱いていたように、
ニューエイジ思想にはもともと東洋思想を源流とするものも多い。
そのため、日本人にとっては、ガチガチのキリスト教文化より親しみやすいのかも知れない。
ニューエイジを起源とするセラピーや商品などは結構売れているようだし。

もともとは宗教起源のものでも、ナントカ理論だとか、
ナントカ・ムーブメントだとか、言葉を変えて、
アメリカンのカントカ博士がセミナーやって本を売れば
受け入れられやすいようにも見えてしまうのは、私の誤解だろうか?

とても宗教的な行動をとりながら、
「自分は無宗教です」という人も多いのだが、
ニューエイジについてはそんなアイマイさ、アヤフヤさが
つきまとっているようにも感じられる。

動画は、フィフィス・ディメンションの‘The Age of Aquarius’

  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
「こころに思ったことがその通りになる」
そういったビジネス本やセミナーをよく見かけませんか?
アメリカの成功哲学などで語られることの多いこの言葉。
これをたどっていくと一人の人物にあたります。

「ニューソート」(New Thought)と呼ばれる
キリスト教宗教運動の創始者の一人とみなされている
フィニアス・P・クィンビー(Phineas P. Quimby)がその人。

クィンビーは、あるとき重い病気にかかり、
メスメル派の治療者によって癒されます。
このときの治療は、催眠術と心霊術を組み合わせたようなもので
あったと伝えられています。 (メスメリズムのパス法?手かざし?)
その後、自分自身も治療者となりますが、
やがて彼は「病は気から」という信念に取りつかれます。
すなわち、病は全て悪い信念から生じるものであるから、
心のゆがみを治せば肉体の不調も治るという思想です。

(アメリカの成功哲学: 「良いことを思えば 良いことを引き寄せ
               悪いことを思えば 悪いことを引き寄せる」
 の源流ということでしょう。)

そして、彼は自分の治療が、イエス・キリストが行なった治療と
同一であると主張するようになります。
 『神とはこの世の本質であり、「科学」であり、
 イエスがキリストとして説いた原理である。
 そして、自分はそのキリスト科学を再発見した。』という主張です。

この考え方は クリスチャン・サイエンスに引き継がれることになります。
その中から、ジョセフ・マーフィーなども出てきます。
  (ディヴァイン・サイエンス教会)
ジェームズ・アレン、ナポレオン・ヒル、スティーブン・コヴィーなども
その系譜に連なる人たちです。

こうやって見ると、本屋には催眠本、新興宗教本が、
「ビジネス」の棚あたりに一杯ならんでいるようにも感じられます。
催眠の原理や歴史などをきちんと書いた本は少ないのですが、
読んだ人を催眠誘導しようという本は次から次へと出てきます。
それから、自己啓発セミナーなども、
このニューソートを利用したもののひとつです。
参加者の問題より、金儲けを目当てとしたセミナーもあるので
気をつけなければいけません。

アメリカン成功哲学の基本は催眠。 
そして、特にメスメリズムと結びついたキリスト教系新興宗教。
それが形を変えて日本に輸入され、
ビジネス本として紹介されているということですね。

  • このエントリーのカテゴリ : 催眠


 聞きなれない言葉である。この「感情労働」という言葉は肉体労働、頭脳労働とは別の労働形態としてA.R.ホックシールドによって提唱された。その著書、「管理される心」(1983)の中では、フライトアテンダント(主に女性)及び集金人(主に男性)の例をとりあげ、「適切とされる感情の維持と表現」が重要な職務要素となるような、感情レベルにおける「管理された労働行為」について述べている。

身近な例をあげてみると、某ハンバーガーチェーンの「スマイル 0円」。販売員はマニュアルどおりに、自分の感情を0円で売り物にする。「管理される心」には次のような例があげられている。フライトアテンダントは顧客の無理な注文に対しても自分の感情を隠して応え、集金人は相手に恐怖心を与えるために自分自身の倫理感などは切り離したうえで借金を返さない客を追い込む。

「仕事で生き延びるために、19世紀の工場労働者が自分自身の肉体労働を精神的に分離する必要があったのと同様、感情労働者の典型であるフライトアテンダントは、自分の感情と感情労働を分離する必要がある。」
そして、マニュアルや企業研修は、
「相手に適切な心の状態を喚起させるように、自分の感情を引き起こしたり抑制することを要求する。」

感情労働においては、①表層演技(本来の感情は相手に隠して接する。「スマイル」など)②深層演技(想像力により相手だけでなく自分自身をだます)という2種類の演技が使用される。感情労働を行う人にとっての心は商品化され、お金に換えられる。

フライトアテンダントの他にも、教師、医師、看護師、介護職、駅員、接客業、その他サービス業では、この感情労働という形態で働いている人が多くいる。第2次産業から第3次産業への「産業高度化」「サービス化経済」に伴って増加しているからだ。

一方、「キレる」顧客、「モンスター」といわれる顧客も増加している。フタをかぶせられたような社会に対する不安や不満のようなものを、もっとも弱い立場のものにぶつけようとしている。企業のマニュアルや研修もそのひとつのあらわれかも知れないが、ちょっと「お客様は神様」という洗脳メッセージが効きすぎではないか。そこに人と人との関係は感じられない。

「感情労働」は、場合によっては「解離」というこころの病気を引き起こすこともある。
そうなってしまうと、自分自身とそれを外からながめる自分ができる。そして、自分の感情の一部を「何も感じない」として切り離してしまうこともある。その点は、本人もその周りの人もよく注意しておいたほうが良い。

時おり、自分自身の感情、こころをよく整理し、再統合するための時間を持つことも有効だと考えられる。
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
タイトルのインプロは、
今年(といっても比較的最近)学んで良かったと思うもののひとつ。
即興演劇とそのトレーニングの技術・手法。

まず、9月から10月にかけて、この3冊の本を読んだ。

 ・「インプロであなたも『本番に強い人』になれる」 
  池上奈生美+秋山桃里 フォレスト出版
  (最初に読んだ本。考え方が中心。わかりやすかった。)

 ・「即興の技術」 吉村竜児 日本実業出版社
  (これもビジネス本のコーナーに置いてあるようだ。
  面白いゲームがよくまとめてあって、参考になった。)

 ・「インプロゲーム」 絹川有梨 晩成書房
  (考え方、歴史、たくさんのゲーム、コーチ方法まで詳しく書いてある
   事典みたいな本)

a.相手のオファーに、まずYESで応えること
b.そして、自分のアイデアを堂々とオファーすること

この基本的な姿勢と、それを表現するゲーム(小さな演劇のトレーニング)
だけでも 学ぶ価値があった。

インプロを学ぶことで、いや、学ぶというよりは実践することできっと
対人コミュニケーションは良くなるだろう。
また、常識にとらわれない柔軟な発想が養われると思われる。

本を読んだ後、実演を見に行き、また、体験セミナーにも行った。
相手をまず受け止めて、それから自分が話すこと。
それを日々のコミュニケーションの中で活かして行けたら良いと思う。

インプロ関連の本

①没入 ②疎隔・離人 ③健忘 の3因子に基づく尺度による調査によって、「PTSDと解離はともに被催眠性が高度」という報告があるらしい。

PTSDと解離の境界といった議論はあるが、
いずれにしても、自分の心身の状態を保護する機構として、
自動的に没入、疎隔・離人、健忘という働きが起きるということは理解できるような気がする。
解離の場合は、<みがわり>を作り出すのだ。
このような疎隔・離人と健忘は、特に大事な働きだと思う。
それらはトラウマの影響を極小化するために起きる自動的な自己催眠であるようにも思える。したがって、被催眠性は高くなるのだろう。

いずれにしても外からは見えないことなので、催眠のプロセスにおいては事前の話し合いや目的の設定なども含めて、細心の注意が必要だろう。また、何が何でも催眠というのも避けたほうが良さそうだ。トラウマのフラッシュバックを誘発することもあるからだ。

なお、PTSDの治療法として、精神療法では認知行動療法やEMDRが、
薬物療法ではSSRIがよく使われている。

EMDRは、リズミカルな眼球運動の反復によりトラウマ記憶を弱めたり、
取り除いたりすることをめざすもの。トラウマ記憶に患者の意識を向けさせたままの状態で、治療者が指や手を左右に振って、患者に眼球運動をさせる。同時に音を利用するケースもある。
どんなものかイメージがつかめなかったので、You Tube を調べてみた。
下はその1例。
 「トラウマ記憶を思い出せ!」や「問題のことに意識を集中して!」
などと言われながら目の前がチラチラしたり、それに合わせて音が鳴ったり…   気が散ると催眠には入りにくいものだが、これはワザとそういう状況を作って一種の解催眠をやろうとしているように感じられる。


  • このエントリーのカテゴリ : 催眠


ゲッベルスについて調べものをしていたら引っかかった本です。
1993年(平成5年)の作品で、軽く読めてしまいます。

三題噺ふうに語るとすると、
・日本人将校が、当時友軍であったドイツ軍のUボートに乗せた
 「ゲッベルスの贈り物」を日本に……
・時は平成。映像のみでしか見ることのできない
 幻のアイドル歌手の歌が大流行
・有名人を含む自殺の増加
といったことを背景として、幻のアイドルの実体を追う「おれ」と、殺し屋の「わたし」によって物語が展開されます。

 詳しく書くとネタバレになってしまうので、
ここから先はほとんど省略しますが、
・スラップスティック(ドタバタ劇)が好きな人
・(かなり古い)映画が好きな人
にとっては興味深い記述があります。
また、ゲッベルスがタイトルとなっているとおり、大衆の誘導において、
暗示を利用する方法(現代催眠の応用)の記述も、もちろんあります。
はたして、「ゲッベルスの贈り物」の正体とは?
 
ところで、
 「愛国心の消滅」「悪平等主義」「拝金主義」「自由の過度の追及」「道徳軽視」「3S(スポーツ、セックス、スクリーン)政策事なかれ主義」「無気力・無信念」「義理人情抹殺」「俗吏俗僚横行」「否定消極主義」「(例えばエミール・ゾラに見られるような)自然主義」「刹那主義」「尖端主義」「国粋否定」「享楽主義」「恋愛至上主義」「家族制度破壊」「民族的歴史観否定」といったようなことのいくつかを最近の日本に感じることはありませんか?
実は、これらの言葉はゲッベルスがワイマール憲法に対して「人間獣化計画」としてはげしい批判を行ったときのものです。私はナチズムに対しては徹底的に反対の立場です。しかしながら、日本人が獣化し、日本という国が次第に解体していくのを見るのはつらく感じます。今となっては、もはや単なる懐古主義、センチメンタリズムなのかも知れませんが……
  それから、この本の筋のひとつでもある自殺について……日本における1年間の自殺者は平成18年で約3万2千人。これはF1レースやカジノなどで有名なモナコ公国の1国の人口と同等です。

暗いことがらを並べてしまいましたが、それでもまだ、未来の夢を見る人の思いが続いていく限りは何とかなると信じています。大衆を暗い方向に誘導している催眠を解くことができるはずです。特に催眠に詳しい人は。
何ものかからの贈り物を受け取って、匣の中から一切の苦厄が飛び出してしまったとしても、底のほうからおずおずと顔を出してくるものがあります。人はそれに「希望」という名をつけています。
  • このエントリーのカテゴリ : 文学
「モダン日本」1937年4月増刊号に掲載されたSF小説。

・書き出し:

太陽の下では、地球が黄昏れていた。
 その黄昏れゆく地帯の直下にある彼の国では、ちょうど十八時のタイム・シグナルがおごそかに百万人の住民の心臓をゆすぶりはじめた。
「ほう、十八時だ」
「十八時の音楽浴だ」
「さあ誰も皆、遅れないように早く座席についた!」

・その国では、国民は十八時に流れる国楽を聞く義務がある。
時間は30分間。

・大統領のせりふ:

「ああ、ソノほかでもないが、博士には敬意を表したい。博士の音楽浴の偉力によって、当国は完全に治まっている。音楽浴を終ると、誰も彼も生れかわったようになる。誰も彼も、同一の国家観念に燃え、同一の熱心さで職務にはげむようになる。彼等はすべて余の思いどおりになる。まるで器械人間と同じことだ。兇悪なる危険人物も、三十分の音楽浴で模範的人物と化す。彼等は誰も皆、申し分のない健康をもっている。こんな立派な住民を持つようになったのも博士のおかげだ。深く敬意を表する。……」

・解説文:

十八時の音楽浴は、住民のことごとくを一時間大天才にすると同時に、あと二十三時間というものを健全なる国民思想にひきずるのであった。音楽浴の正体は、中央発音所において地底を匍う振動音楽を発生せしめ、これを螺旋椅子を通じて人間の脳髄に送り、脳細胞をマッサージし、画一にして優秀なる標準人間にすることにあった。

ラジオと一種の「ボディソニックチェア」によるマインド・コントロールの世界を描いています。

なお、ナチスドイツによる「国民受信機」(ラジオ) VE-301が発表されたのが、1933年8月18日。宣伝によく使用されたメディアのひとつです。
また、直接の関係はありませんが、日本では、1945年9月、終戦からまもなく、「国民型受信規格案」が発表になっています。それから、日本におけるテレビ放送開始(NHK)は1953年2月13日です。

この小説が書かれたのは1937年であり、浸透したラジオは、大衆に直接語りかけるメディアとしての価値が大きかったと考えられます。
映画の力も相当なものであったことでしょう。

現代では、テレビ、インターネット、ラジオ、新聞といったメディアが大衆宣伝の中心になっています。筒井康隆が「にぎやかな未来」で描いたように
絶え間なく流れるコマーシャル、何度も繰り返される「buying trance」のメッセージといったものが日常の一部です。
一方、世界では8憶人以上の人が飢餓に苦しんでいるという事実は、
何度かは伝えられているのですが、メディアで毎日目にするというほどでもありません。
日々の生活における情報源がメジャーなメディアだけならば、何者かによって選択された価値観を知らず知らずのうちに自分の判断としてしまう危険性があるのでは?
かといって、いちいちCMの背景を分析して、それに含まれている暗示文などから自分を解放(解催眠)するのもめんどうくさいので、
せめてはときどき一人になってみて、自分とよく向き合って、自分の頭でものごとを考えるということが必要ではないかと思います。

十八時の音楽浴 (青空文庫)

  • このエントリーのカテゴリ : 文学


歴史小説の大家の初期作品集。夏目漱石の「琴のそら音」にいうところの、西洋から輸入された催眠術に対する「日本固有の奇術」の一端を窺うことができます。
 まず、タイトルの果心居士。史料としては「外道逆風集」「虚実雑談集」に記述があるものの、その実在については議論があります。
その幻術の例:
「右手をのばして宙で経机をつかみとると、そのまま義観の眼前で机をゆっくりとまわし、奇妙な呪を唱えはじめた。それが、果心が発見した「胡飲酒」の呪法であるという。義観は半ばまでもきかずに失神した。そのまま義観は三日のあいだ意識もなくねむった。」
また、豊臣秀吉に、「弱年のみぎり、野陣にて犯せし女」の亡霊を見せています。
 果心居士は天竺人(インド人)と目されており、呪法はバラモン教(古代ヒンドゥー教)によるものであるらしいです。
 
 この作品集には「飛び加藤」という忍者の話も収められています。
その幻術の例:
「よいか。ただいまより、この牛を呑む」
といって、「牛の後右脚から、ゆっくりと呑みはじめていた」
また、別の話。「ふところに手を入れ、腹のあたりから例の徳利をつまみ出してきた。「それそれ」四郎左衛門が、おどけて掌で瓶子を抱いてみると、人肌のぬくもりがあった。なんとなく不気味な気がして、そっと畳の上においた。「案ずることはない。娘は、その瓶子のなかに入っているわさ」
飛び加藤の史料としては、「甲越軍記」「近江與地志略」「明全記」があります。

少し注意を要すると思われる点は、「催眠」についての呪術的要素が強調されている点です。こちらを追及すると、明治時代の「催眠術」が「心霊術」への傾倒を深めていった(例えば古屋鉄石)のと同じ流れをたどっていくことになります。

果心居士、飛び加藤ともに、密教、修験道の流れではないかと思われます。このほか日本には、密教(仏教の流れ)とは別の、陰陽道(道教の流れ)があります。そのスーパースターは大阪あべのの地名の語源となった安倍晴明です。こちらも伝説は多いですね。
ただ、あまり呪術的要素を追うと、「胡散臭い」ことになってしまいますのでこのあたりで止めておきます。

この作品集、なかなか面白い作品集でした。
  • このエントリーのカテゴリ : 文学


心理学を知ろうと思って本屋や図書館にいくと、あまりにも範囲が広かったりして、いったい何を読んだら良いのか迷うこともある。
「心理学」というタイトルの本はもちろん、「認知心理学」「臨床心理学」「産業心理学」などなど…

新しい学問であること、また、それを応用する分野が多いためにそんな状況になっていると思うのだが、略地図でもいいから自分なりのイメージを持っていたいということもあるだろう。

そんなときに、「心理学」をそのまま学ぶのでなくて、
「心理学史」という一見回り道に見える方向から
アプローチするのも手かもしれない。
詳しいことは後にじっくり勉強するとして、ざっと全体を見わたすためだ。

そういった目的であれば、上にあげた「流れを読む心理学史」は好適だと思う。
心理学という学問が発生してきた過程から現代にいたるまでの流れを
手軽に、やさしい解説文で読むことができる。

また、この本で特徴的なのは、欧米での研究史のみならず、
日本における心理学研究の流れを解説しているところだ。
明治以来、日本で心理学がどのようにけ受け継がれてきたのかをよく知ることができる。

全体としてコンパクトにつくられており、記述もやさしいので、
専門家でなくとも読みやすい。
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
 映画を見るのは楽しいし、人を理解するのに役立つことが多い。一見映画とはまったく関係のなさそうな臨床心理学や精神医学だが、意外と多くの作品がある。
 
 次に挙げるのは、そうした映画を臨床心理学の立場から紹介したもので、格好のガイドブックになると思われる。

    シネマのなかの臨床心理学 山中康裕 有斐閣

    トラウマ映画の心理学 森茂起 新水社

    シネマ処方箋  高橋祥友  梧桐書院
 
 映画は基本的にエンターテイメントだから、ある一面を強調しすぎたり、誤解を招く表現になることも多く、そのあたりは注意する必要があるだろう。要するに、映画を観たから、その病気のことがわかったなどということはない。基本に立ち返って学ぶことが大事だと思う。
ただ、単に本を読んだだけではわからないことが映画の中で具体的なイメージ、音として描かれていることも多い。1シーンを観て、「なるほど、そうだったのか。」と気づくこともある。前述の本などを参考にして、DVDを探すのも良いかも知れない。
  • このエントリーのカテゴリ : 映画


2001年のアメリカ映画。ノーベル賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描く物語。監督はロン・ハワード。

 主人公は、まわりに変わりもの扱いをされながらも数学(非協力ゲーム理論)の研究を続けていた。そこに諜報員があらわれ、暗号解読を依頼される。
数学の研究と諜報活動の二重生活。
結婚もするのだが、妻にもこの諜報活動のことは隠す。
 新聞やポスターに現れる暗号、諜報員との会話。(これらは実は妄想であるのだが)現実と幻想の境を行きつ戻りつする主人公の心の闇とそれを支える妻の姿が描かれる。

【統合失調症(妄想型)】
陽性症状には、妄想、幻覚、思考障害、奇異な行動などがあります。妄想は誤った信念のことで一般に、知覚や体験の誤った解釈に関係しています。たとえば、被害妄想がある人は、いじめられている、後をつけられている、だまされている、見張られているなどと思いこみます。関係妄想では、本、新聞、歌詞などの1節が特に自分に向けられていると思いこみます。人は自分の心が読める、自分の考えが人に伝わっている、外部の力によって考えや衝動が自分の中に吹きこまれているなどと思いこむ思考奪取や思考吹入という妄想もあります。音、視覚、におい、味、感触についての幻覚が生じることがありますが、最も多いのは音の幻覚(幻聴)です。自分の行動に関して意見を述べる声、互いに会話する声、あるいは批判的で口汚いことを言う声などを「聞く」ことがあります。-メルクマニュアル医学百科より

主人公をラッセル・クロウ、その妻をジェニファー・コネリーが演じている。
ジェニファー・コネリーは好きな女優の一人だが、この映画でも良かった。
 なお、統合失調症についての描写が誇張されていて、この病気に対する誤解を招くとの指摘もあるようだ。映画は娯楽要素を当然に含むものだから、映像で構成するとあのような描き方になるためだと思う。

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実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの半生を基にして
1995年に製作されたオーストラリア映画。監督はスコット・ヒックス。
デイヴィッドの父親は、ピアニストになる夢を果たせず、その想いを彼に託す。
幼時から厳格な教育を受けてきたデイヴィッドは腕をあげ、天才少年の名をはせる。
アメリカへの留学の話が出るが、父親はそれを暴力的につぶしてしまう。
次いで英国王立音楽院への留学の話。父親はこれにも大反対だが、
デイヴィッドは人の励ましをうけてついに家を出る。
 王立音楽院ではセシル・パーカーに師事。
コンクールでは、父親が「世界一難しい曲」と評したラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾く。そして、ストレスのあまりか、精神が崩壊。精神病院で十数年を過ごすことになってしまった。
自閉、統合失調。(ジェフリー・ラッシュの演技も素晴らしい)
 精神病院を出てからの歩みがそれに続く。バーで「くまんばちの飛行」を弾くシーンは印象的。
そして、その後の人生も描かれている。
 
 ショパン、ラフマニノフなど、使われている音楽も良い。
ラフマニノフピアノ協奏曲第3番などは、デイヴィッド・ヘルフゴッド自身が弾いているらしい。こころに響いてくる。
ジェフリー・ラッシュの演技も見事。言葉のサラダのように早口で同じことを繰りかえす。
父親を演じたーミン・ミューラー=スタールも、偏執と愛情の間の微妙な点をよく表現していた。
全体として美しい印象が残る映画だった。
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【解離性健忘】トラウマやストレスが原因で、ものごとの一部または全部を忘れてしまう症状。

【この症例が描かれている映画】
心の旅路 マーヴィン・ルロイ監督 1942年 アメリカ映画

 (おはなしの要点)
  この「心の旅路」の主人公は、第一次世界大戦の戦場での経験がトラウマとなって、記憶を失ってしまう。精神病院に収容され、そして街が戦勝記念で浮かれている最中にそこを出る。
  ひとりのショーガールとの出会い、新しい生活。ところが、記憶が戻り彼は元いたところへ帰る。そして、それまで自分がどういう生活をしていたのか、数年にわたる記憶がない。
 なぜか鍵を持っているのだが、それがどこの鍵なのかわからない。

  一方、彼を失ったショーガールは、その後速記を学ぶなどしたうえで彼の秘書に応募し採用される。
 また、彼と生活しているときに貰った「眼の色と同じ石のネックレス」を宝石箱にとってある。ところが、彼はそのネックレスのことも忘れてしまっている。

 (演出について)
 ・戦場での経験がフラッシュバックという形で描かれるが、
「プライベート・ライアン」の冒頭のシーンのような即物的なものではない。
この映画が製作された1942年は、第二次大戦のさなかであり、
戦意高揚という観点から、あんなのが映画になることはなかっただろう。

・解離性健忘の演技:主役のロナルド・コールマンが演じていたのは、
        焦点の定まらぬ眼で、どこか遠くをぼんやり見ている様子。

・鍵とネックレス:「鍵」はこころの扉を開ける鍵、
           記憶の扉を開ける鍵というメタファ。
         「ネックレス」は彼との愛情に満ちた生活をしめすメタファ。

・白黒映画。全体的に今の時代とはちがうゆったりとした流れの作り。
 約2時間。
 ヒロインのグリア・ガーソンが美しい。
 没入しているとラストシーンに泣ける。
 

(解離性健忘)
 つらいこと、忘れてしまいたいことを本当に忘れてしまうという心の防衛機能と解釈できる。
 この映画のように数年にわたることもあるかも知れないが、
 私たちの生活の中において、実はちょっとしたことを忘れていることがあるのではないか。
 トラウマになる記憶と向き合ってそれを無力化ないしは軽減するか、
 あるいはすっかり消し去ってしまうか(解離性健忘ということ)。
 ところが、この映画の中でも描かれているように、subconscious memory (意識下の記憶)がふとしたきっかけでよみがえることがあり、それがトラウマであればフラッシュバックとともに酷い影響をあたえることになる。
 (良い記憶ないしはニュートラルな記憶ならば問題ないのだが…)
 
 催眠をsubcouscious mind(潜在意識)との対話と考えるのであれば、ひとにはこうした機構が備わっているということをよく認識したうえで対話を行うことが推奨される。
  • このエントリーのカテゴリ : 映画
フィアレス

恐怖症(フォビア)やアレルギーをすべて克服してしまって、
死をも恐れない状態になったらどうなるのだろう?
それがこの映画のテーマ。
主人公は、航空機事故をきっかけに、
飛行機恐怖症もイチゴアレルギーもない状態(フィアレス)となった男。

 この映画の中では、飛行機会社から派遣された精神科医も
描かれている。事故の当事者に当時の様子を話し合ってもらう
シーンがあるが、グループセラピーということだろう。
 しかし、同じ航空機事故で子供をなくした母親は、
それでは救いとならない。フィアレスとなった男は、彼女の悩みを聞き、
ある行動によってその罪悪感を解消させようとする。
 
死や恐怖、罪悪感などを描きながら、
生きていることとはどういうことかと語りかけてくる映画。
物事に対する価値観や意味の転換ということも考えさせられる。

恐怖症やアレルギーが全くない状態というのは素晴らしいことかも
知れない(特に何かに悩んでいる人にとっては)。
でも、自分は「フィアレス」になりたいとは思わない。
苦しいことも苦いこともあるけれども、それも味わいのひとつだろう。
  • このエントリーのカテゴリ : 映画
 これまでに明治・大正期を代表する作家の催眠に関する作品を見てきた。その背景には、明治20年代の「こっくりさん」「催眠術」ブームと、明治40年前後の「催眠術」再ブームがあると考えられる。日本文学史に名を残す大作家たちにとっても、催眠はその当時比較的近い存在であったのだろう。ただし、いずれも催眠を魔術ででもあるかのようなとらえ方をしている点に注意をしておきたい。当時、催眠はこうした呪術的なとらえ方と科学的な研究との間を行ったり来たりする存在であった。

 この状況については、
「催眠術の日本近代-復刊選書-」 一柳廣孝 (青弓社)に詳しく書いてある。



なお、明治・大正期の文献を探すときに、
次の電子図書館を使うのもひとつの手である。
残念なことにテキストデータではなく、JPG画像なのだが、ゆっくりとであれば読むことができる。
例えば、「小野催眠学」(明治42年)
「一時は世間より誤解されたる催眠術も今や全く科学的研究の上に樹立し学者は競って之れが研鑽に従事し通常人はまた之が効顕に沿す。」などと書かれている。

自宅にいながらにして、当時の出版物をそのままの形で読むことができるのはありがたい。
しかも無料である。他人の解釈を通してではなく、原典に直接あたることができる貴重な機会だ。

国立国会図書館
近代デジタルライブラリー
ココをクリック!

その他、日本における催眠の歴史については、「REAL HYPNOSIS」というサイトも力を入れて説明している。
日本の催眠の歴史

前述のような資料を通して日本における催眠の歴史を学ぶことで、現在催眠に対して多くの人が持っている誤解や偏見のわけを理解することができる。そして、明治41年の「警察犯処罰令」のような政令の制定という障害を招くことなく、催眠の有効な活用方法を自然と提示することができるようになるだろう。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
「私がハッサン・カンから学んだ魔術は、あなたでも使おうと思えば使えますよ。高が進歩した催眠術(さいみんじゅつ)に過ぎないのですから。」

 そして、
 ・テーブル掛けの花模様から香り
 ・テーブルの上のランプが回転
 ・書棚の本が、テーブルの上にピラミッド形に積みあがると思うと、
   書棚へ舞い戻る

「使えますとも。誰にでも造作(ぞうさ)なく使えます。」
「ただ、欲のある人間には使えません。ハッサン・カンの魔術を
 習おうと思ったら、まず欲を捨てることです。
 あなたにはそれが出来ますか。」

そして……

この続きは、次のリンクからご覧ください。
(青空文庫で全文を読むことができます。)
魔術

この物語の結末は、同じ作者による「杜子春」に少し似た味わいも
ありますが、こちらの方がほろ苦いです。

自分にはそれだけの修業ができていないのは間違いないですね。
「催眠は被験者のためのもの」というのが基本ということでしょうか。
  • このエントリーのカテゴリ : 文学
 

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青狐レオ

Author:青狐レオ
催眠や心理学について研究しています。 テーマは「催眠」「心理学」「精神医学」「コミュニケーション」など。その他には、マジック、アート、インプロ、映画にも興味があります。

 

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