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2000年のアメリカ映画。監督はターセム。
ザ・セル デラックス版〈特別プレミアム版〉 [DVD]ザ・セル デラックス版〈特別プレミアム版〉 [DVD]
(2001/07/25)
ジェニファー・ロペスヴィンス・ヴォーン

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<ストーリー>
誘拐した女性を巨大な水槽(セル)の中で溺死させる連続殺人事件が発生。
容疑者が逮捕されるが、昏睡状態に陥っていた。
FBIは、最先端技術を使って患者の精神世界に入り込む治療を行っている心理学者キャサリン(ジェニファー・ロペス)に、容疑者が拉致した女性の監禁場所を探り出して欲しいと協力を依頼する。
キャサリンは凶悪犯の精神世界に入っていく。


精神世界の描写にハッとするところもある。また、映像が美しい。
現代絵画をよく鑑賞している人は、いくつかのモチーフに対して、「あれ、どこかで見た」というような印象を持つかも知れない。

ただ、映画としては、この精神世界の映像の造形とジェニファー・ロペスだけが目立っているような印象を持つ人もいるだろう。見ようによっては、単にジェニファー・ロペスのプロモーション・フィルムやイメージDVDにしか見えないこともない。一応サイコ・サスペンス・ホラーということになるのだろうが、ファンタジー映画のようでもある。

とはいえ、精神世界へダイブするとき、ダイブ時の描写、ダイブから抜け出るときの所作などには興味深いものがある。

*以下の動画は凶悪犯の精神世界の描写の一部

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  • このエントリーのカテゴリ : 映画
TVシリーズ 「刑事コロンボ」の「魔術師の幻想」 (1976年)の1シーンから。

コロンボは同僚に「1から4までの数字をひとつ言ってごらん」と自信満々に言う。
 同僚が答える、「決めましたよ」
 コロンボ 「いくつだ?」
 同僚 「2です」
 コロンボは電話機を指差していう。「電話の下を見てごらん」
 相手が電話機を上げると張り紙がついている。
 読んでみると、まちがいなくコロンボの筆跡で
 『きみが2を選ぶことはわかっていた』と書いてある。
 相手はビックリ。
 「どうしてわかったんです?予知能力があるんですか?」


これはマジックで使われる「マルチプル・アウト」という技法を使ったもの。
1を選んだとしても、『きみが1を選ぶことはわかっていた』という紙がどこかに準備してあるし、3を選んだとしても、4を選んだとしても、同じようにどこかに答えが準備されている。

コロンボは、相手が選んだ数字を聞いてから、その紙が準備されている場所を示せばよい。例えば、「天井を見てごらん」などと。

この現象面だけを見るとまるで予知能力だが、確実に起こしうる現象である。その意味で合理的。また、誰にでも再現可能なことである。

このようにマジックでは、理にかなっていることを、理にかなっていないように見せる。もちろん、そのための入念な準備が必要だが。

イカサマ霊能者も同じようなことをやっているのだが、それを自分に備わった能力だと言ったり、金儲けに結びつけようとしたりしている。充分注意することが必要だ。

また、ノストラダムスの予言詩と呼ばれるものについても、後の解釈でどのようにでも取られうるあいまいな(何のことを言っているのかはっきりしない)表現となっていて、それを利用しようとする人がいる。その詩の解釈をするときの動きもマルチプル・アウトと同じだ。刑事コロンボがやった数字のようにハッキリした結果がでるものではなく、詩の解釈によってどのようにでも結果が引き出せるところが好都合なのだろう。

こんなことは昔からわかっていることなのだが、それでもTVを中心としたマスコミは理にかなっていないことをタレ流したがっているように見える。そうしたイカサマ心霊番組より、マジックの番組を増やしてもらいたいと感じる。上質なマジックは、真のエンターテイメントだから。

ヘンリー・マンシーニによる「刑事コロンボ」のテーマ。

冬の曇り空の下、風にもよろめくようにして会社になんとかたどり着いていたころ、このアルバムを毎日のように聴いていた。本すら読む気もなかったころだ。

アダージョ・カラヤンアダージョ・カラヤン
(1995/05/25)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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マーラーの交響曲第5番 第4楽章 アダージェットからこのアルバムは始まる。
優美な調べが流れる。
聴いているうちに、「もうこのまま静かに消えていってもいいや」という気にもなっていた。(東京の朝の通勤時間帯にはふさわしくないかも知れないけれど。でも、人があれだけいると、中にはそんな人もいるのだ。そんな人にとっては、朝は本当にツライこともある。)

人と別の流れを持って、自分と対話をするときのBGMとして使っていたような気がする。

収録されている曲は次の通り。
1. 交響曲第5番 第4楽章:アダージェット(マーラー)
2. カノン(パッヘルベル)
3. タイスの瞑想曲(マスネ)
4. 交響曲第3番 第2楽章:アンダンテ(ブラームス)
5. シンフォニア「聖なる墓に」 第1楽章:アダージョ・モルト(ヴィヴァルディ)
6. 「ペール・ギュント」第1組曲 オーゼの死(グリーグ)
7. ディヴェルティメント第15番 第4楽章:アダージョ(モーツァルト)
8. アダージョ(アルビノーニ)
9. 交響曲第7番 第2楽章:アレグレット(ベートーヴェン)
10. G線上のアリア(バッハ)
11. 悲しきワルツ(シベリウス)

クラッシックのコンピレーションアルバムの火付け役ともなったアルバムでもある。カラヤンに対する批判を書いている音楽評論家も多いけれど、一度自分の耳で聴いてみるとよいと思う。

なお、マーラーの交響曲第5番 第4楽章 アダージェットは、映画音楽としても有名である。
トーマス・マン原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971年イタリア・フランス合作映画)やマイケル・オンダーチェ原作、アンソニー・ミンゲラ監督の「イングリッシュ・ペイシェント」(1996年アメリカ映画)などで使われた。

以下の動画では、アダージェットの調べに乗せて「ベニスに死す」のハイライトシーンの写真が見られる。ただし、演奏はカラヤン=ベルリン・フィルではないと思われる。この映画もヴィスコンティの美意識が満ち溢れている映画。

  • このエントリーのカテゴリ : 音楽
ラポール(「関係」という意味のフランス語)とは、どのようなものだろうか?

以下は、'The Top 10 Secrets of Conversational Hypnosis' から、
その要点の紹介: (第4回)

ラポールとは、「誰かの無意識の心をひきつけ、相手の地図に従って物事を見るときに発生するものである」と書かれている。もう少し具体的に書くと、誰かと会話をしていて、その相手があなたを信頼し、快適に感じているときのその関係と安心感ということだ。

これは、単に人にうまく影響を与えるためのキーということではなく、それによって最も楽しむことができ、また、リラックスすることのできるスキルである。人はラポールを作れる人の周りに集まるものである。

会話による催眠の言語的な技法は、相手とのラポールがとれていると最も効果的に機能する。

それはなぜ重要なのだろうか?

人は社会的な動物であり、何かの目的のためには人と協働する必要がある。このことは、人に影響を与えられるようなコミュニケーションができることが人の最も価値のあるスキルのひとつであることを意味している。

他の人との関係作りや、その相手が理解されていると感じるようにすることは重要である。古代ギリシャの議会では、論争を避けるために、最初に誰かが発言すると次の人がその発言内容を繰り返し、最初の発言者がそれに満足した後に初めて自分の発言をするといった方式が用いられていた。非暴力的コミュニケーションの創始者であるマーシャル・ローゼンバーグは、もし20分以内に相手の必要としていることを正確に述べることができたなら、長い論争も解決することができると主張する。

そうしたことが、言語的な技法を使って「相手の地図に従って物事を見る」ということである。

この他にも、言語的な技法あるいは非言語的な技法、行動による技法、声の変化や内側の意識の変化といった、ラポールを形成するための多くの方法がある。


ここでのポイントは、「相手の地図に従って物事を見る」ということ。
言葉では簡単に言えるかもしれないが、実行することはなかなか難しい。
仮にクライアントとカウンセラーの二者の関係を想定してみる。二者が出会うまでの背景には、例えば家族や友人などの影響、教育や文化の影響もあるから、相手の言葉ひとつをとっても、それを相手が言っているそのままの意味で捉えるのは容易ではない。

そのために、相手の言っていること、必要としていることを確認するように言語化することも大切である。(カウンセリングで言う、リフレクション (reflection) ということ。なお、NLPではバックトラッキング(back tracking)と呼んでいる。)

人は「自分が理解されている」と感じない限り、なかなか本音を話そうとはしないものだ。
そのための雰囲気づくり、相手への共感など、一筋縄ではいかないと感じられる。なぜなら、人はそれぞれ、それぞれの背景を持っているからである。いろいろな催眠の本にもラポールという言葉は出てくるが、どれだけ深い共感を持って相手と関わることができるかというところまで踏み込んだ記述をしているものは少ないと思われる。

ラポールを形成し、維持するということについても人それぞれだ。厳密に言えば、その方法は相手の数だけあるということになるのかも知れない。ただ、その基本となるのは、相手としっかり向き合って言語的/非言語的なコミュニケーションを行うことと、その裏側にある相手の意図を洞察したり確認することではないかと考えられる。これは、単に相手の言ったことをオウム返しにすれば良いというものではない。

ラポールには、もともと「橋を架ける」という意味もある。
向き合った相手と、お互いの存在を認め合いながら、しっかりした心の架け橋を築けるだろうか。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
なぜ占いや血液型性格本が売れるのか?
なぜ代替医療がビジネスとして成り立つのか?
なぜ人はラチもない新興宗教やカルトに入信するのか?
こうした科学的根拠を欠く商売がよって立つところは何だろうか?

ということで、
迷信や思い込みについての過去の研究を調べてみた。

まずは、1948年、スキナーの実験によるハトの迷信的行動。

空腹のハトを実験箱に入れ、その行動にかかわりなく15秒ごとに餌を出すようにした。

ハトは餌が出る直前に頭を上げたり、足を持ち上げたり、実験箱の中を一回りするといった行動を見せた。それはまるで、「その行動をとるとえさが出てくる」かのような振る舞いであった。


スキナー 「ハトにおける『迷信』」(1948)

この実験では、迷信的な行動がオペラント条件付けによって形成されうるということがわかる。

 (注)オペラント条件づけ : スキナーが創案した条件付けの一種で、一般には、生活体に自発した行動(オペラント行動という)が、その直後の環境の変化によって変容することと定義される。これを実験操作が可能になるようにもう少し具体化していうなら、オペラント条件付けとは、「どのような反応であれ、それに正の(負の)強化をあたえれば、その反応の生起確率は増す(減る)」という単純な原理によってなりたつ学習性の行動変容だといえる。  <エンカルタより引用>

「何かをしたらうまくいった」 → 「その行動をするようになる」 
というのが基本的パターン。

 例) 朝、家を出るとき、右足から出たら仕事がうまくいった。 
   → 仕事をうまくいかせるために、
      朝、家を出るときは必ず右足から出るようにする。

  競馬場で、ある立ち食いそばの店で食べた後に馬券を買ったら当たった。
   → 競馬場に行くたびに、
     その立ち食いそばの店で食べるようになる。 

こうした儀式的な行為がわれわれの日常でもよく観察される。
別にハトに限ったことではないのだ。
次の論文を見てみよう。
この流れに沿って、人間で実験した結果だ。

小野浩一 「人間の迷信的行動」(1987)

「人間の迷信的行動」についての日本語による解説

行動の基礎―豊かな人間理解のために行動の基礎―豊かな人間理解のために
(2005/05)
小野 浩一

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この実験では、スキナーがハトで実験した迷信的行動が人間でも起きうるということがわかる。二つの実験を並べてみると、ハトも人間も大差ないように見える。

人間が陥りやすい思考のワナである「因果関係の錯誤」、すなわち、本当は関係のないAという事象とBという事象との間に因果関係を求めがちな心の傾向に気をつける必要がある。
その傾向につけ込む、占い、血液型性格本、代替医療、新興宗教やカルトといった商売が手ぐすねひいて待ち構えているから。

話は変わるが、オペラント条件づけは、人の学習行動などにも応用されている。典型的な例としては「プログラム学習」などがあげられる。最近盛んになってきたCAI(Computer Aided Instruction:コンピュータ支援教育)もその下流にあたるものだろう。

【参考】
デレク・ブラックマン 「オペラント条件づけ」 第2章 迷信

思い込み態度の行動分析
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
鳥インフルエンザに由来するパンデミック(感染爆発:感染症の世界的大流行)についての議論がされている。H5N1型ウィルスが鳥インフルエンザの原因であるようだが、このウィルスに感染した人間死亡率は63%で、世界中の死者の累計は400人を超えているという。

およそ90年前、パンデミックが発生した。
それは「スペイン風邪」という名前で知られている。
同じくインフルエンザであるが、A型で、ウィルスはH1/N1型の亜種。
1918年と1919年には、世界中で流行し、概算で2000万から4000万人の人々を死に至らしめた。
オーストリアの画家、エゴン・シーレもこれによって短い生涯を終えた。
また、日本においても、患者数2300万人,死者48万人と推計されている。
劇作家の島村抱月もその死者のひとりである。

過去の事実を知るにつれ、ワクチンの開発とパンデミックの予防の必要性がよく理解されるのではないだろうか。

ところで、インフルエンザが流行する季節もまもなく終わるが、
それを描いた小説を一編。
オー・ヘンリーの短編、彼の代表作のひとつである「最後の一葉」では、インフルエンザによる肺炎で病の床に伏せる画学生が描かれている。
   (注)オー・ヘンリーの没年は1910年であり、
      スペイン風邪のことを書いたというわけではないが、
      当時のインフルエンザという病気への対応が伺える。

オー・ヘンリー傑作集〈1〉最後の一葉オー・ヘンリー傑作集〈1〉最後の一葉
(1989/05)
飯島 淳秀オー ヘンリー

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窓から見える壁にはツタが絡まっており、その葉は5枚を残すのみ。そして、その最後の一葉が散るときに、自分もまた散るのだと言う。葉がまた一枚散りゆく。
残りは4枚。

そうしたある日、激しい雨が降り、風が吹きすさぶ。
ところが、それにもかかわらずツタの葉は一枚だけ残っている。

その葉を見て、画学生は自分の思いや考えかたを見つめなおす。


当然ながら、ツタの葉と画学生の生命には何の関係もない。落葉する植物は時期が来れば落葉するし、それはその植物の生命の維持のために必要である。
それを関係づけてしまったのは画学生の思い込みによるもので、自己暗示ともいえる。
論理療法の言葉を借りて言うと、「イラショナル・ビリーフ(irrational belief :非合理的な信念)」ということになるだろう。

論理療法では、ごく簡単に言うと、自分の思い込みの非合理性に気づかせ、そのことについての自分の考え方を転換させるのだが、この「最後の一葉」で画学生が自分の思いや考え方を見つめなおしたきっかけはそうしたやり方とは違っている。

この小説に登場する年老いた画家の行ったことがそれである。
画学生の思い込みや「イラショナル・ビリーフ」は生かしたままで、むしろそれによって結果的に新たな思いを作り出している。その人の持っているものを使いながら、それによって意識などを変容させていくやりかたである。ミルトン・エリクソンが療法において多用した「ユーティライズ(utilize)」と通じるところがあると感じられる。

一枚のツタの葉に対する画学生の思い入れと、それを取り巻く人の優しさが印象的な作品。

全文はココをクリック! (杉田玄白プロジェクトによる日本語訳)
  • このエントリーのカテゴリ : 文学
「催眠話法コース」 (Hypnotic Language Course)は、会話の中に催眠的なことばづかいを自然に取り入れられるようになることをねらいとする、メールマガジンによる教育プログラム。イギリスのSalad社が提供している。 (無料)

ある人は、ご存じのように、___かも知れません。

ある人は__かも知れません。そして、「ある人」とはあなたのことかも知れません。
それから、「ご存じのように」というと、私があなたの考えていることを知っているように見えます。

 ・ある人は、ご存じのように、深くリラックスしてトランスに入るかも知れません。
 ・ある人は、ご存じのように、この状況について全く新たな観点を得るかも知れません。
 ・ある人は、ご存じのように、こうしたパターンがあなたのコミュニケーションの多くの場面で現れることに気づくかも知れません。


「ご存じのように」(you know)という言葉の力を感じる話法。
もっと軽く、「~ですよね」というような感じととらえても良い。
同意や同調を求める言い方でもあり、これによってペース合わせをしている。

また、多少強引かも知れないが、「~かも知れません」ということで、
ほとんど何でも誘導のための言葉を入れることができるだろう。

ある人は、ご存じのように、既にこんなことはご存じなのかも知れませんが...
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
1997年のアメリカ映画。 監督はガス・ヴァン・サント。
グッド・ウィル・ハンティング [DVD]グッド・ウィル・ハンティング [DVD]
(2007/11/28)
ロビン・ウィリアムズ

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<ストーリー>
清掃員のアルバイトの青年ウィル(マット・デイモン)が、名門大学の学生ですら解けない数学の難問を解くところから物語は始まる。

青年は貧しい家庭で育ち、DVを受けていたのだが、市立図書館で本を借りて独学することで能力を磨いていた。その一方でウィルは素行が悪く、ケンカをしては鑑別所入りを繰り返していた。

ウィルの才能に目をつけた数学教授ランボー(ステラン・スカルスガルド)は、彼を更生させようとして何人もの心理学者を紹介するが、ウィルは心理学者の意図を見抜き逆に手玉に取る。最後の手段として、自分の友人である心理学者のショーン(ロビン・ウィリアムス)にウィルを紹介する。

ウィルは他の心理学者同様にショーンをからかったりするが、次第に交流が始まる。映画はこの二人の心の交流を中心として描かれている。

<PTSD>
ウィルはPTSD(心的外傷後ストレス障害)であると考えられる。
以下メルクマニュアルから引用。

心的外傷後ストレス障害(PTSD)は,全体として安定した若者であっても,大きな心的外傷を生じる出来事(例,天災や人災,死の観察)の後,直ちにまたは数週間遅れて,生じることがある。PTSDは,原因となる心的外傷と症候的反応の両方の程度が大きいという点で,調節障害とは異なる。当該の出来事の心的外傷を伴う記憶,それを抑えようとする努力,継続的な不安状態,時に奇妙な症状を伴う覚醒が,時にはその出来事の後,何週間も経ってから生じる。大人は一般にそのような出来事が青少年に及ぼす影響を過小評価し,親は愚かにも,子供が見たこと,感じたことを語ろうとする気持ちをくじいてしまうことがある。

治療
 治療には個人療法,グループ療法,家族療法がある。重大な出来事がストレスとなるのは合理的なことなのだと,患児や親を安心させることが有用である。また,患児にその出来事やそれに伴う苦悩について語らせたり,十分に尋ねたりすることも有用である。感情を十分に発露させた後,患児に,そのバックグランドや成熟度に適した言葉で,別なやり方でその出来事に対処していたら,もっと良い結果が生まれていたかもしれないということを考えさせることによって,その出来事を締めくくらせ,未来への希望を与える。苦悩が続く場合は抗うつ薬が有用である。
 早期の集団サポートはその後のPTSDを最小限に抑えられる。グループによる当該の出来事の詳細な再現,十分な感情の表出,災害への典型的な反応を認めてあげること,恐ろしい出来事の適切な事実理解の重視が含まれるべきである。救済者や治療にあたる人の苦悩が大きいことがあるが,出来事や彼らの感情的帰結が参加者によって補助的にレビューされるような,体系的な報告会によって緩和できることがある。


また、医学的な用語ではないが、ウィルには「アダルト・チルドレン」という言葉もあてはまるだろう。機能不全の家庭で成長し、学習することで自分を守る鎧を作ってきたのではないだろうか。表面に見せるものと、鎧の下にある生身の自分とは違っている。そして、人には決してその弱みを見せることがないようにしている。

ウィルにとって大きかったのは、心理学者のショーンとの出会い。ショーンも心に傷を持つ身だった。何度も面接を繰り返し、そして、この映画のハイライトシーンを迎える。
一対一で、こころとこころをぶつけあっての対話。
'It's not your fault.' (君は悪くない)

(注) この映画を見たことのない人は、添付のクリップを見る前に、
    (レンタルでも)DVDをお勧めします。


  • このエントリーのカテゴリ : 映画
初めて催眠について学んでみたいという人に、この本を紹介することが多い。

 ・基礎知識から暗示文についてまで幅広い内容となっている
 ・記述が具体的でわかりやすい
 ・値段がてごろ
というのがその主な理由だ。

現時点では記述内容の根拠があいまいと思われる点もいくつかあるが、
一冊で催眠全般についてひととおりの理解をしようという目的には適合するだろう。
この本の何倍もするインチキ臭い催眠のセミナーに行くくらいなら、
これを買って2~3回じっくり読んだほうがずっと良いと思われる。

原題 を'The Wizard Within' (1990)という本の翻訳本。
翻訳モノがまったくダメという拒否反応を示す人は別の本を探してみる必要があるが、とりあえず一度は手にとって見ると良い。
記述がやさしく、わかりやすいから。

クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー―催眠療法クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー―催眠療法
(1995/12/01)
A・M・クラズナー小林 加奈子

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以下は目次。暗示文の例なども参考になる。

第1章 催眠ってなに?
  観念・信念-人生の指針
  期待-自己完結的な予言
  催眠についての誤解

第2章 催眠の歴史

第3章 暗示のパワー
  インプットを変えればアウトプットも変わる
  判断のフィルター
  暗示は乳幼児期にプログラムされる
  習慣の形成
  条件反射
  暗示の種類
  悪いことばかりっではない
  ためしてみよう
  マスコミと暗示の関係
  暗示の法則
  デモンストレーション

第4章 暗示の実習

第5章 脳のしくみ
  左脳
  右脳
  ふたつの回路
  「きき脳」を探る
  催眠と脳波
  学習チャネル
  モデリング、ミラーリング、ペーシング
  チェック・リスト
  ストレスが意識を高める

第6章 顕在意識と潜在意識  
  意識の情報処理
  顕在意識と潜在意識のはたらき
  顕在意識
  顕在意識の思考
  潜在意識
  潜在意識はオートメーション機械

第7章 暗示文章の作成
  基本的なルール
  肯定文で肯定的に
  具体的に
  現実的に
  くりかえす
  現在形で
  暗示のスタイル
  暗示としての「たとえ話」
  催眠を深める暗示
  イメージを喚起する暗示
  後催眠暗示

第8章 臨床催眠
  前提としての暗示
  臨床面談
  被暗示性のテスト
  誘導
  催眠を深める
  解除反応
  ヒプノセラピーの範囲

第9章 クラズナー・メソッド
  事前面談
  催眠状態を示す特徴
  納得してもらうために

第10章 誘導テクニック
  リラックスへの誘導
  催眠を深める誘導
  目ざめさせる

第11章 催眠中の現象
  観念運動反応
  指の反応
  遊離
  時間の歪曲
  自動書記
  退行
  感覚脱失
  幻覚

第12章 自己催眠
  あなたとともに変化ははじまる
  自己催眠はだれにでもできる
  自己催眠の効用
  日常に生かせる自己催眠
  自己催眠の四つの柱
  想像力を育てる
  肯定的に予測する
  練習をはじめるまえに
  本当のリラックス
  自己催眠のセッション
  リラックスする
  催眠を深める
  セラピーとしての後催眠暗示
  目ざめる
  なにごとも練習
  催眠にかかっていたの?
  自分を納得させる
  手順は同じ
  体重を減らす
  タバコをやめる
  目的別の暗示例

○付記
  催眠誘導の特徴(HIP)
  デイビス&ハズバンド式測定法
  ルクロン・ボードー式測定法
  段階的なリラックス1
  段階的なリラックス2
  くりかえしの動作を使った誘導
  自己主張のための暗示
  健康のための暗示
  行動力を高めるための暗示
  怒りを解消するための暗示
  罪悪感を解消するための暗示
  人混みがこわい人への暗示
  テニスに上達するための暗示

  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
死とかなり近いところにいたことがある。
(今でも親近感は覚えているが...)

そのころ、カヴァティーナを良く聴いていた。
朝に 夕に

この曲に流れている諦観のようなものがこころにマッチした。
すべての望みを捨てて、静かに死に行くことを想っていた。

ベトナム戦争をテーマとした「ディア・ハンター」の主題曲。
この映画の方も好きな映画のひとつ。

朝に 夕に
この曲を聴きながら 
しばらくは死に行くときの予行練習をしていた。

こうべを垂れ 音楽にまかせて 
ほとんど目を閉じていた。 
こんな穏やかな終わり方は良いと思っていた。

*ジョン・ウィリアムスの演奏する 「カヴァティーナ」 (ライブ)


今は、そのまま終わってしまわないで良かったと思う。
「ディア・ハンター」のラストシーンからでも、
語られない回復の物語が始まっていたのだ。

大事なものを喪失してしまっても、自信を失ってしまっても、
<いのち>も含めて、今の自分が持っているものを大切にすることから、
また一歩ずつでも前に進むことができることも知った。

もしかすると、誰にでもそのような曲があるのかも知れない。

*ディア・ハンターのスチル写真つきの「カヴァティーナ」

  • このエントリーのカテゴリ : 音楽
'The Top 10 Secrets of Conversational Hypnosis' から、
その要点の紹介: (第3回)

トランス状態とは、幸せ、感謝、愛といったような感情の状態である。もしあなたが誰かにある状態に入ってもらいたいとしたら、まずは自分でそこに入ることである。

その方法として次のようなものがある。

生理的状態の変化: 飛び上がったりしゃがんだり、姿勢やジェスチャーを変えたり、呼吸のペースや筋肉の緊張度合いを変化させてみるといったこと。その状態に伴う感覚を楽しむこと。

自己催眠: 瞑想やヨガなども含め、自己催眠を練習することは早くトランス状態に到達するスキルを身につけるのにとても良い方法である。ベティ・エリクソンの方法など多くの情報があるので試してみるとよい。

フリをすること: ある状態に入ったフリをしてみると、神経系に影響を与えることができる。本当にその状態にいるというフリをすればするほど、その状態に入っていく。自分自身に対してそうすることで、他の人もついてくることになる。

アンカー : 例えば、自分にとってとても楽しい状況を思い浮かべ、本当にそうした感覚が現れたら数秒間左手の人差し指と親指をギュッと握り、そして離す。少し練習した後、時間を置いて、この動作を行うとそれと関連づけられた感覚(このケースでは楽しい状況)が湧き上がってくる。

こうしたことを練習して、手早く自分からトランス状態に入れるようにすると、トランスに入ってもらいたい誰かにその状態について来てもらえるだろう。



ここで書かれていることは、
微笑むと相手も微笑み、
しかめ面をすると相手もしかめ面をする 
というのと似ている。

また、ここでいう「フリ」は、自分自身が確信するという程度のもの。
醒めた目で観察している自分がいるというのではなさそうだ。
「迫真の演技」といったところだろうか。
そして、自信をもった態度も大事な要素だろう。

  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
自称催眠術師や自称催眠療法家など、催眠術をやるという人の説明を聞くと、
「催眠術は直接無意識に働きかけるから効果が大きい」
というようなことを言うことが多い。

そんな言葉を聞いたら、「ではその『無意識』って何ですか?」
と質問してみると良いだろう。

自称催眠術師は、「例えば氷山があるとして、そうそう、映画『タイタニック』で出てきたような大きなやつ...その水面下には、水の上に出ているよりもはるかに大きな氷の塊があります。意識と無意識の関係は、この水面上の氷が意識で、水面下の氷が無意識です。催眠術では直接この水面下の大きな部分に働きかけられるから効果が大きいのです。」などと答えるかもしれない。

実際、この氷山のたとえ話は、多くの催眠関連本に出てくる。

それで納得してしまってはいけない!

その話法自体がメタファーという催眠誘導の一種だからだ。
また、その回答が「意識」「無意識」という言葉自体についての説明をしているわけでもない。

「無意識」という言葉は、ジグムント・フロイトが人間の精神構造を説明する際に用いたことからよく使用されるようになった言葉であるが、それははたしてどのようなものだろうか。

フロイトが考案した精神構造のモデルは、以下の3層から構成されている。

1) 第1層(表層)  「意識」  : 自ら意識できる領域。ものを見る、話す、聞くなど、直接心の現象として経験していること、経験と感じることを相対的に意識とした。

2) 第2層(境界層) 「前意識」 :通常抑圧されて出てこないはずの「無意識」が、何かのきっかけや、努力によって「意識」に上ってくる場合の領域。

3) 第3層(深層)  「無意識」 :個人の行動を左右し、思考や感情に大きな影響を与えながらも、本人は自覚しない心的過程の領域。意識することはできない。また、意識すると精神衛生上よくないものは、意識することなく無意識に押し込まれ、忘れることになる。


フロイトは、次のような言い間違いの例などから、
無意識の存在を証明しようとした。

 例) (会議をはじめるにあたって、議長が) 
    「これから会議を閉会いたします。」 と発言。
         -議長の無意識は、早く閉会したかったのかも知れない。

フロイトが夢分析を重視したのも、
「夢の中では無意識が抑圧されていない」と考えたから。

フロイトの考え方は、説明するのに便利なので今でも使用されている。
ただし、これはあくまでもフロイトによる仮説。

仮説に基づいた説明はしっかりした論拠を欠くため、どこまでも仮説でしかない。従って、冒頭の「催眠術は直接無意識に働きかけるから効果が大きい」という主張は、確固たる論拠を持ったものではないといえる。
ましてや、フロイトの学説にも触れたことのない自称催眠術師や自称催眠療法家がやることが実際どのようなものであるかは、推して知るべしというところだろう。

  • このエントリーのカテゴリ : 心理
イギリスの作家、ヒュー・ウォルポールの作品。
江戸川乱歩が激賞した作品で、以下の短編集に収められている。

世界短編傑作集 4 (4) (創元推理文庫 100-4)世界短編傑作集 4 (4) (創元推理文庫 100-4)
(1961/04/07)
E.ヘミングウェイ

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【あらすじ】  (注:以下には結末部分も書いてある(いわゆるネタバレだ)が、それがわかっていたとしても読んで恐怖感を覚える作品。それはこの作家の筆力によるもの。それでも見たくない人は、ここから先は読まないように。)  







ディナー・パーティの帰り道、いわゆるオールド・ミスのソニア・へリス(50歳)が一人の痩せ細った貧しそうな青年から声をかけられる。やむなく自宅に招きいれたソニアは青年に軽食を与え、その日は1ポンド札を握らせて帰らせる。しかしその青年はこれがきっかけでその後も何回とソニアの前に姿を現し、妻と赤ん坊を連れて来たりもする。さらに伯父・伯母と称する夫妻も出入りする。前からいた召使やコックは辞めて行き、ソニアは孤立無援の状態に陥る。青年は決して脅すことなく、いつも媚びながらも、ソニアの生活を蝕んでいく。ソニアは心臓を病み、女中部屋に寝かされる。ついには青年が女中部屋に外から鍵をかける。


日本のことわざに、「ひさしを貸して母屋を取られる」というのがあるが、この物語を一言でいうとするとこれがあてはまるかも知れない。

青年は、表面的には善意の行動を見せるのだが、この物語の結末が彼の深層心理を語っている。ソニアは自分の善意をつらぬこうとする。青年は、その善意につけこむようにソニアに取り入った結果、屋敷ごと乗っ取ってしまうのだ。

スリラー小説としても、人間心理を描いた作品としても優れた作品。ソニアの心理の動きの描写、読後のなんともいえない恐怖感(やりきれないおぞましさというべきか)は、この作品ならではだと感じる。

青年の悪意を知るものはソニア以外にはいないのだが、それを誰にも伝えられない。ソニア自身は善意を貫こうとするし、青年も表面的には善意の行動をとる。この作品の気持ち悪さというのは、この「善意」ということから来ているのだと思われる。暴力的であったり、はっきりした悪であったならば、この小説の読後にただよう気持ち悪さはきっとないだろう。その気持ち悪さというのは、いわゆる「善意」の表層だけでなく深層を読まなければ自分の存在すら危うくしてしまうという、人間関係全般に対する恐怖を感じるからなのだろう。

なお、ヒュー・ウォルポールは同様の作品も書いている。「銀の仮面」も含め、それをまとめたのが以下の本。
銀の仮面 (ミステリーの本棚)銀の仮面 (ミステリーの本棚)
(2001/11)
ヒュー・シーモア ウォルポール

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今回これと類似の作品を探してみたのだが、古くは、モリエールの「タルチュフ」が似た感じだ。
以下岩波文庫の紹介文を引用。ただ、「銀の仮面」と比べると、こちらの方がまだ明るいかもしれない。

金満家のオルゴンは,自称零落貴族のタルチュフを信頼して家政を任せ,娘と結婚させようとまでする.タルチュフはといえば敬虔な信心家をよそおってオルゴンをたぶらかし,財産横領を策し,妻君にも言いよるという始末.ルイ十四世時代の社会を痛烈に諷刺したこの喜劇でモリエール(一六二二―七三)は偽善者の典型を創造した.



また、日本人作家による作品では、中島敦 「牛人」も同種の物語。この作品では策略や表に表れた悪意などを感じることもあるので、「銀の仮面」に比べると読後感はまだましだ。
(短い作品なのでちょっと読んでみると良いだろう。)
    ↓
中島敦 「牛人」全文 by 青空文庫
  • このエントリーのカテゴリ : 文学
「催眠話法コース」 (Hypnotic Language Course)は、会話の中に催眠的なことばづかいを自然に取り入れられるようになることをねらいとする、メールマガジンによる教育プログラム。イギリスのSalad社が提供している。 (無料)

ある人は___を知らないかも知れません。

ある人は知らないかも知れません。でも、あなた自身がそれを知っているか知らないかわかるためには、やってみてわかるしかありません。そのときにはもう遅い。なお、この言葉に「あなたは」や「あなたの」という言葉をつけて、もっと個人的な言い方にしたりちょっと距離をおいた言い方にすることもできます。

・ある人は、あなたがすでにどれだけ深いトランスに入っているか知らないかも知れません。

・ある人は、あなたの無意識がすでに成し遂げたこれらの変化をどのようにして知らせるかということについて、正確には知らないかも知れません。

・ある人は、次回あなたがこの話し方を使うのはいつかということを知らないかも知れません。



「~を知らないかもしれない」ということで、その言葉を聞いた人を「~すること」に引きつける。この言葉を聞いた人の頭の中では、「~すること」をやっている自分の姿がシミュレーションされている。

断定的な否定でないところがポイント。
また、不特定な人のことについて言っている。
いずれもあいまいな結果となるので、そのあいまいさを埋めるように聞き手の想像力が働くのだろう。

巧みな誘導話法であると感じられる。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
1931年のアメリカ映画。 アーチー・メイヨー監督。
英国の作家、ジョルジュ・デュ=モーリア の「トリルビー」という小説 (1894) が原作。

音楽家のスヴェンガリが、絵のモデル志望のトリルビーという少女に催眠術をかけ...
というのが基本的なストーリー。
スヴェンガリとトリルビー、その周囲の人間のその後の物語が描かれる。

特筆しておきたいのはスヴェンガリ役、主演のジョン・バリモアの名演。
いかにも恐ろしげな催眠術師のイメージを作り上げている。
当時形づくられていた催眠術師像をベースとしたものなのだろうが、
人を操る、怪しい人間という姿が決定的。

現代でもこうした催眠術師像を自分のモデルとする人は多いと思われる。
インターネット上にも散在する「あなたも催眠術師」「人を自分の思うように操れる」といった宣伝文句がそれを語っている。そうした宣伝文句の催眠効果で妄想にとりつかれ、高い教材費・講習費を払う人も多いのだろう。お金の使い道はよく考えた方が良いと思われる。

この時代からずっとこのようにして描かれてきた催眠術師に対するネガティブなイメージを払拭するのは容易ではない。一方、前述した催眠術教材などの売り手は、逆にそうしたイメージを強調することで商品の価値を高めようともしている。こうした状況が続く限り、催眠に対する誤解や偏見は解けず、結果として催眠の効用が語られる機会も少ないままとなるだろう。

この映画に描かれている催眠術は、妄想のイメージにすぎない。
ただ、ジョン・バリモアはものすごさを感じる名演だ。


  • このエントリーのカテゴリ : 映画
創造的であるために、

自分を責めない

インプロにおいて、自分の行動に責任をとろうとする、
とくに失敗の責任をとろうとすると、他人の評価を恐れるようになる。
そして、失敗を恐れてリスクのある行動を取らなくなる。

ここでのポイントは、自分を責めてしまうと何か学ぶことが苦痛になって、
それ以後学ぶことが強いられた活動となってしまうということ。

キース・ジョンストンは、新しいゲームを説明する際に、
「もし私が言っていることを誤解したら、もっといいゲームが生まれるかもしれない」とも言っている。

かりに間違えても、それで萎縮してしまわないこと。
リスクをとって行動するということ自体が価値のあることなのだから。
周りもその勇気をたたえるのが良いだろう。

想像の責任を取らない

自然発生的な想像は、自分の意識的なコントロールの枠を超えることもある。
それを社会一般の常識で抑制してしまうと、想像の芽をつむことになる。

ジョンストンは、
「想像はそれ自身の意志を持った巨大な動物である。それを面白がろう。
 しかし、責任は引き受けない。あなたはその飼い主ではない。」と言う。

想像と自分とが無関係であると考えるのだ。


創造的であるために

 ・普通にやる
 ・頑張らない
 ・独創的にならない
 ・当たり前のことをする
 ・賢くならない
 ・勝とうとしない
 ・自分を責めない
 ・想像の責任をとらない

そして、

 グッド・ネイチャー(good nature)であること。すなわち、
 「その人からにじみ出る、その人が本来持っている人間としてのよさ、
  または、そのよさが表れている状態であること。」


 一緒にいる仲間を喜ばせること。
 ・相手をよく見せる (Make your partner look good.)
 ・相手をインスパイアする (Inspire your partner.)
 ・相手にいい時間を与える (Give your partner a good time.)

ということを大切にする。

これがジョンストンの基本的な考え方だ。

 「私たちはスポンティニアス(spontaneous:自発的、自然に湧き出る)な衝動を抑圧している。私たちは自分の想像を検閲する。自分が普通に見えるようにすることを学ぶ。そして、自分の才能を破壊する。 -これで誰も自分のことを笑わなくなる。」

そこから自由になって、
スポンティニアスな想像を表現・行動に移すことによって、新たな価値が創造される。
創造的であるために、

賢く(clever)ならない 

他人に「賢く見られたい」と思うと、社会一般に考えられている賢く見える行動をとる。
 それは、他人の評価への恐れ。
 また、失敗を避けるために変化を恐れる。
 そして..自分が賢いということを見せたい役者に対して、観客は敵対する。

 キース・ジョンストンは、「観客は傷つきやすい(vulnerable)あなたを見たい」と言っている。

 賢そうにふるまっている作られた自分ではなく、
 普通の自分、ありのままの自分を表現すると良いのだ。 

勝とうとしない (not trying to win) 

 競争社会の中では、勝つことに価値が置かれている。
 そして、無意識の中にも「勝たなければならない」ということがすりこまれてしまう。
 
 勝とうとするとどうなるか...

  ・他人の評価を気にする → 評価への恐れ
  ・身体的な緊張
  ・一緒にやっている仲間を負かそうとする

 そして、自分は変わらず、相手ばかり変えさせるようになる。
 これでは相手と一緒に何かを創り上げるということが難しい。

 ジャンストンは、勝とうとする代わりに
 「相手がよく見えるようにする」 (make your partner look good) あるいは、
 「相手に良い時間を与える」 (give your partner a good time) といったことをするとよいと考える。
 また、人を変えるよりも、自分が人によって変えられることが重要であると考える。

 社会一般の価値観によれば、「賢い」こと「勝つ」ことは良いことだ。
 しかしながら、社会的なこころのふるまいによって、身も心も緊張し、
 固くなっていることにもいつの間にか気付かなくなってしまう。
 
 無意識のうちに他人のオファーやその人自身を否定することによって、
 自分の優位性を示そうとしたり、人を操作したりといったことを行うようになる。

 だから、社会の価値観によって硬直した考え方をときどきはインプロゲームでほぐして、人のオファーによって自分が変わっていく過程も楽しむと良いと思われる。
 柔軟なこころからは、ちょっとした変化、創造の芽が育ちゆくことだろう。
創造的であるために、

普通にやる (be average)、 頑張らない (not trying)、 つまらなくやる (be boring)

キース・ジョンストンの言葉
『もしあなたが素晴らしい人で普通にしていたら、あなたは素晴らしいだろう。もしあなたが悪いインプロヴァイザーならば、どうしたってよくない』

人がなにかを「やろう」とするときは、自分の力を信用せず、社会的なこころに自分の考えを合わせている。人が自分自身でなくなるときだ。

また、リラックスするということについても
『もしリラックスしなさいと言ったら、緊張するだろう。何かをしなければならないと考えるから』
と言っている。
これについては、「頑張ってリラックス」するという風に書くと、その言い方がどこかおかしいところに気づくだろう。

独創的にならない (not being original) 、 当たり前のことをする (being obvious)

自分が独創的でないと評価されることを恐れると、アクションが伴わなくなって委縮してしまう。
逆に、自分にとって当たり前のことをするということ。
それは、自分を観客の前で明らかにすることである。
もともと人は異なっているのだから、その人にとって当たり前のことをすると、結果として誰とも違うものが生まれるという考え方だ。

絵、音楽、詩文や各種パフォーマンスなど、自分自身を表現する方法はいくらでもある。
その時点での自分にとって当たり前のことを、普通に、頑張らないでやることが自己実現とも言える。
インプロヴァイザーだけでなく、<自分探し>で疲れている人にも伝えたい言葉。

 *<自分探し>という言葉が流行したこともあるが、
  現在の自分を大切にしないで理想化した自己像だけを追い続け、
  それでもなかなか<自分>が見つからないと嘆いている人もいるようだ。
  <自分>は今、そこに、自分と寄り添っているのに...

他人の評価を恐れず、自分が普通の自分でいること。
それがもっともその人らしくて、自然で、そして創造的でもある。
キース・ジョンストンの言葉から。

『私から見ると、人間の中には、何か驚くような、とても力強いものがある。しかし、社会的こころ(social mind)がそれを覆ってしまっている。』

それはなぜか?
三つの恐れがそうさせているという。

一つめの恐れ : 評価への恐れ

  『物語を創造したり、絵を描いたり、詩を書いたりすると、思春期の子どもは広く評価にさらされる。なので、子どもは「繊細」とか「機智のある」とか「たくましい」とか「賢い」とか、他の人の目の前に作りだそうとするイメージのように見せるためにすべてウソをつかなくてはならない。』

 他人の評価を求める一方で、それを恐れるということ。よい評価を受けたいと思い、迎合する。時には、独創的と思われたいがために、独創的だと言われている既存のものに合わせてしまう。評価への恐れの前で委縮してしまうのだ。他人の評価が欲しくてたまらない人はその奴隷とも言える。

そこから自由になるのは、なかなか大変だ。

二つめの恐れ : 未来や変化への恐れ

  『「イエス」と言うのが好きな人と、「ノー」と言うのが好きな人の二種類の人がいる。「イエス」と言う人は、その報いとして冒険を手に入れることができる。「ノー」という人は、その報いとして安全を手に入れることができる。』

  「ノー」と否定すると、そこから先に進むことはなくなるので、未来に行かなくて済む。従って、変化もなく、結果として安定が手に入れられる。「ノー」が口ぐせになっている人は、とにかく現在の自分を守りたいのかも知れない。未来や変化を恐れているのだ。「ノー」ということで他人をコントロールしたがったり、過去のことだけを繰り返し振り返ったりというのもそうした態度にあたる。

未来や変化には不安がつきまとうのも確かだが。

三つめの恐れ : 見られることへの恐れ

  キース・ジョンストンは、人間には人の前に立つことへの恐怖が普遍的にあると考えている。その恐れが強いと、評価の恐れや、未来や変化の恐れも強めてしまう。見られているという意識が、自分を評価する他者への意識につながっていく。

 そうして身体や心が緊張し、否定的なことを言いやすくなったりする。

このような恐れを取り除くために、さまざまなインプロ・ゲームが考えられている。
インプロ教育―即興演劇は創造性を育てるか?インプロ教育―即興演劇は創造性を育てるか?
(2006/12)
高尾 隆

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インプロ教育による創造性の育成について書かれた本だが、
この本には、20世紀半ばに近代インプロを創始した、
キース・ジョンストンの基本的な方法論が次の言葉でまとめられている。

 ・普通にやる  

  ・頑張らない

  ・独創的にならない

  ・当たり前のことをする

  ・賢くならない

  ・勝とうとしない

  ・自分を責めない

  ・想像の責任をとらない

各々の項目についてはおいおい話をするとして、
その基本にある考え方は、
「大人は委縮した子供である」 ということ。

もともと子供は創造性に富んでいるのだが、成長するに従い、
社会のきまりごとや他からの評価によって、
自発的なこころの動きや表現が失われてしまうということだ。

逆に言うと、大人は、普通にやらずに何か目立つような行動をとったり、
頑張ったり、自分を賢く見せようとしたり、無意識に競争に勝とうとする。
その状態を「委縮した」という言葉で表わす。

インプロ教育は、創造性を与えるというのではなく、
もともとあった創造性をよみがえらせる方法としてとらえられている。

社会のきまりごとにとらわれた自分から自由になること、
その場で生まれた自然発生的なこころと身体の動きを大切にすること。
それは自分自身を大切にするということでもあるようだ。
だから、特別人の目を引くような突飛な行動をとらなくても、
自分が自分自身であることで独創的でありうるという考え方。

それは逆説的にも見えるが、実際にインプロをやってみると、
自分があまりにも社会の求める枠の中にはまっているかがよくわかる。
インプロゲームを楽しむことでひとときでもそこから出てみると、
リフレッシュしたり、リラックスしたりできる。

そこで感じていることをもとに、自然な変化を受け入れていくと、
相当面白いことになると感じられる。
「催眠話法コース」 (Hypnotic Language Course)は、会話の中に催眠的なことばづかいを自然に取り入れられるようになることをねらいとする、メールマガジンによる教育プログラム。イギリスのSalad社が提供している。 (無料)

ある人は___することができます。

どの人が? 無意識は、それはあなただと想定します。

ある人は、深くくつろぐことを楽しむことができます。

ある人は、内なる意識に焦点を向けることができます。

ある人は、ある機能を言葉によって享受することができます。


ここでのポイントは 「ある人は (A person)」 という言い方。
人を特定せず、一般的な(抽象的な)名詞を選ぶことによって、
無意識の方が活性化するような言い方となっている。

上記にも書いてあるが、このあいまいな主語については、
無意識が「あなたは」に置き換えてしまうので、
「___することができる。」というところに
暗示となる言葉を入れると、一つの暗示文ができあがる。

「~しなさい」 「~すべきだ」という言葉ではなくて、
「~することができる」という許容的な言い方もポイントのひとつ。
無意識の反発や抵抗を削減して、言葉を受け入れやすくしている。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
製作年 1919年、ロベルト・ヴィーネ監督によるドイツ映画。

この映画は、いろいろな観かたができる。

 ・サイレント映画のひとつとして
 ・怪奇映画の先駆的な作品として
 ・催眠を取り扱った映画として
 ・精神病をテーマとした映画として
 ・ドイツ表現主義を伝える映画として

軸になるストーリーは怪奇映画の味わいで、
ある町にやってきたカリガリ博士(見世物小屋で興行)が、
眠り男のチェザーレを使って殺人事件を起こすというもの。
これに回想シーンや精神病院のシーンが重ねられて、
独特の雰囲気を醸し出している。

カリガリ博士のイメージは、
当時の催眠術師の典型として描かれているようだ。
チェザーレに命令するときに使う次のセリフ
(サイレント映画なので字幕)は、
現在でも催眠術師が使う口調を思わせる。
’Wake up, Cesare! I, Caligari, your master command you!'
(「目覚めよ、チェザーレ! 私、カリガリ、お前の主人が命ずる!」)

今でもこのイメージを引きずった自称催眠術師は多い。
自ら進化を否定しているようにしか見えないのだが...

物語は主人公の視点で語られ始めるのだが、
最後のほうの精神病院のシーンではそれが変わっている。
ハッとする転換。そして冒頭のシーンが思い出される。
今の映画を見慣れていると、
この短い時間で語られる物語が新鮮に感じる。

特筆しておきたいのは、背景の画像。
書き割りの絵なのだが、歪んだ屋根や斜めの街並みなど、
とてもユニークな空間が描かれている。
これがその当時のドイツ表現主義の表現形式。
ヒトラーに蹂躙されてしまう前のドイツ美術の粋である。
この美術の中で殺人事件の物語が語られるのだ。

白黒、サイレント、フィルムの保存状態の関係でノイズはあるが、
それを補って余りある力のある名作。

*「カリガリ博士」は著作権が消滅している。
下のYou Tube動画では全編を見ることができる。
カリガリ博士の上記のセリフは11:17から数秒間。

  • このエントリーのカテゴリ : 映画
「関係性」ということに関して、やはり基本だが、カール・ロジャーズの考え方を振り返ってみたい。

再点検の視点として、

・「私は相手との関係の中で、本当に素直に感じていることを伝えようとしているのだろうか」

・「私は相手を本当に理解しようとしているのだろうか」

・「私は本当に相手の感じていることを受け止めているのだろうか」


という三つの質問を手がかりにする。

最初の質問は、自己一致(congruence)、すなわち、セラピスト自身が自己と経験との一致の状態にあること。二番目は、共感的理解(empathic understanding)、すなわち、クライアントの内的準拠枠をクライアントの視点から共感的に理解し、その経験をクライアントに伝達するよう努めること。三番目は、無条件の肯定的関心(unconditional positive regard) 、すなわち、相手に対して「こうでないと気に入らない」というのではなく、「あなたは何を言ってもいいし、何をしてもいい、あなたが本当にあなた自身であるならば」という態度を貫くこと。

こうした態度がないままに心理的技法で相手を操作しようとするのは無謀というものだろう。
人と人との関係性がないまま、互いの理解も進まないままに、技法だけを先行させるのは暴力であるとすら感じられる。

個人の独自性    : 「この世に二人と同じ人はいない」ということ
人と人との関係性  : クライアントとセラピストの人間関係の中から変化が生まれること
といった観点からカウンセリングやセラピーのセッションを見ると、あらゆるセッションがユニークで、唯一の存在であると考えられる。もちろん、人と人との関係性においては、共感的理解がその基礎である。

そのような人と人との関係を通して、クライアントもセラピストも成長することになる。企業の多くに見られるマニュアル化とは正反対の方向性であると感じられる。

<カール・ロジャーズに関する参考書>
ロジャーズ選集―カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文〈上〉ロジャーズ選集―カウンセラーなら一度は読んでおきたい厳選33論文〈上〉
(2001/05)
ハワード カーシェンバウム、

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  • このエントリーのカテゴリ : 心理
催眠などについて情報をあたってみたときに、催眠に限らず、
何らかの心理的な技法で「操作」しようとする人が多いのに気づく。
ビジネス本や文庫本のタイトルにも「~で心を操作する」といった類の本が並んでいる。

たしかに、そこに並べられている技法には一定の効果があると思われる。
その反面で気になるのが、技法のことを重視するあまりに、それを無条件に模倣したり、信じきってしまったりするという傾向だ。ひとつの技法を何でもかんでも当てはめようとする人もいる。私には、それがなんだか声高に新興宗教の教義の説明をしているように見えてならない。

そうした人たちは、「操作」することによって得られる満足感、ある種の万能感により快感を得ているのだろう。そして、そうした人たち自体が技法自体に服従してしまって、思考停止の状態となっていることには気づいていないのではないだろうか。

「本に書いてあったから」「セミナーで習ったから」 ⇒ この技法は絶対
というような主張をし、それに固執する人が実に多いのだ。
そういう言動をみると、皮肉なことに、「操作」をしたがる人たちの思考は「操作」されてしまっているとすら感じられる。

河合隼雄 「心理療法序説」を読みながら、そんなことを思った。

心理療法序説心理療法序説
(1992/02)
河合 隼雄

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以下引用。
『われわれは他人を何らかの方法によって「操作」しようと考えることが多いのではなかろうか。つまり、自然科学による「操作」があまりに強力なので、人間に対してもそれを適用しようとするのである。しかし、もしそのように考えるならば、その人は他からまったく切断され、完全な孤立の状態になる。』

「操作」によって人と人との関係性を失っているという指摘である。

心理的な技法について、金銭をはじめとする自分の欲を満たすための道具として使う人も実際に多い。「催眠商法」や「振り込め詐欺」などはその悪い例である。そうした場面では、「人と人との関係性を失っている」という指摘がまさに当てはまるだろう。心理的な技法を学ぶときに、自分のスタンスが問われるゆえんだと思う。

また、心理的な技法を学んだわけではなくとも、経験的なことから人を「操作」しようとする人たちもいるので、それもまた注意すべきかも知れない。

人と人との関係。相手も自分もOKだという関係。
それを見失ってしまったときには、技法の僕になってしまうだけであるとも感じられる。
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
「科学の知」と「臨床の知」ということについて、中村雄二郎氏は以下の著書で述べている。

臨床の知とは何か (岩波新書)臨床の知とは何か (岩波新書)
(1992/01)
中村 雄二郎

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図式的に書くと、
  「科学の知」における
  近代科学の三つの原理 <普遍性> <論理性> <客観性>に対し、

  「臨床の知」は、
  <コスモロジー> <シンボリズム> <パフォーマンス> であると言う。
  カタカナだけでは意味がとりにくいので言葉を換えると、
  <固有世界> <事物の多義性> <身体をそなえた行為> としている。

さらに著書の一部を引用すると、
 『科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的に因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して深層の現実にかかわり、世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り、捉える働きをする』ということだ。

こうした文章を読みながら、心理学、とくに臨床心理学のことを考えているのだが、それがどこまで科学で、どこまで臨床的なケアなのかという境界があいまいに感じられる。
その他の心理療法につきまとうあいまいさも、こんなところから出てきているのだろうか。

もうひとつ気になるのが、科学の知について述べられている箇所での「操作的」という言葉。ワトソンに代表される行動主義の心理学にはよく当てはまる言葉だと思うが、臨床の場面においても、手続き化、手順、マニュアル化といったプロセスを通して、人や人のこころを操作しようとする結果になっていないかということが気にかかる。操作の対象としてみることは、その対象を事物としてみているということでもあるからだ。

一方、「科学の知」によらない臨床は、極端な方向に行けば心霊主義や宗教となる。現実に存在する多くの疑似科学的な手法がそれである。その方向においても、人や人のこころを操作(しかも一層激しく操作)しようとする結果になっている。

こうしてみると、臨床という場面でものごとに対して関わりをもつ際の姿勢は大事であると思う。

なお、上記著書には、臨床における経験について、行為(POIEMATA)、受苦(PATHEMATA)、認識(MATHEMATA)というキーワードや、<行為的直観>を重視する姿勢のことも述べられている。

結論的にいうと、「科学の知」と「臨床の知」とのバランスをとりながら、個別の事例に適合するアプローチをとるということなのだろうと考えられるが、それは頭で考え、口でいうほど簡単なことではない。しばらく謙虚に思いをめぐらせてみたい。
  • このエントリーのカテゴリ : 心理
日本における催眠の歴史を振り返ってみて、こんなことを思った。

今回振り返ったのは戦前までの歴史についてであるが、現在催眠について語られるテーマのほとんどが網羅されていると思われる。

 ・医学的なこと
 ・心理学的なこと
 ・心理療法的なこと
 ・ショー催眠
 ・エロ催眠
 ・催眠を利用した金儲け
 ・催眠と犯罪
 ・教育的なこと
 ・オカルト、超常現象に関すること
 ・心霊的なこと
 ・宗教との関わり
 ・マスコミによる大衆操作
 ・政治によるマインド・コントロール

などである。
 
現在では技法的なことのバリエーションが増えて複雑になっているかも知れないが、結局やっていることは同じではないかと感じた。そして、結局は催眠に関係する人がどのような人であるのかということによって、オカルト的あるいは科学的なアプローチのいずれかに振れることになるのではないかと。

日本において催眠術を継承している団体の多くは、明治時代からの進化を拒否したようなオカルティックなやりかた(儀式)を模倣することで催眠術師のコピーを再生産している。
また、催眠を母体として生み出された技術であるNLPに関して、近年ではとみにスピリチュアルな傾向を見せるようになり、擬似宗教化しているかの感がある。

そして、催眠に関する誤解や偏見はいつまでも消えない。
脳科学と測定機器などが近年長足の進歩を遂げたとはいえ、催眠現象自体について、それを科学で解明できるところまでは行っていない。そんな状態であるから、上記のような状況はしかたのないことかも知れない。特に、商業主義・金儲け主義がすべて飲み込んでしまっているかのようだ。

しかしながら、ここで安易に思考停止せず、自分としてどのように関わっていくのかということをじっくり見つめてみたい。古い井戸にも良い水が残っていることがあるし。
私自身は、オカルト的な理解を排除したい。また、根拠のないスピリチュアルな内容を標榜する心理療法などとは一線を画したい。それは言葉こそ違え、「霊術」に他ならないと思うからだ。

そういう風に考えて、最後に何が残るのかはよくわからないでいる。
ただ、自分の力の及ぶ限り、くもりの無い目で催眠といったことについて見て行きたいと思う。
  • このエントリーのカテゴリ : 催眠
大正時代に霊術へと変貌していった催眠術は、宗教との関わりを深めた。
ひとつは、霊術から宗教への変容として、
もうひとつは、宗教による催眠術の利用として。

その具体例を当時の皇道大本教に見る。
皇道大本教 (現在は宗教法人大本)は、当時信者数約30万人とされ、天理教、金光教につぐ第三の新宗教勢力として発展していた。教祖は出口なお。教主出口王仁三郎。なお、日本心霊主義運動の支柱ともいうべき浅野和三郎も、大正10年の第一次大本事件まで大本の有力な信者だった。

大本の儀式の中心となるのは、出口なおの「お筆先」という文書と鎮魂帰神法と呼ばれる神がかりの状態であった。また、奇跡を演出して、信者を心酔させた。これに対して、心理学者中村古峡は、その著書『学理的厳正批判大本教の解剖』(大正9年=1920年)において、鎮魂帰神法は催眠誘導術による変性意識状態であり、また、教祖没後に公表された『お筆先』は教祖直筆ではなく王仁三郎の捏造である事、『お筆先』の予言が的中したと称するのは全て後からのこじつけであり、実際には多くの予言が外れている事などを論証した。
 (注)中村古峡は、催眠術などの研究を行っていた。雑誌「変態心理」を主幹。

中村古峡は、鎮魂帰神法は単なる催眠術ではなく、人格に及ぼす危険があるとし、「覚醒後屡々思想の惑乱を来し、遂には精神錯乱に陥つて、とんでもない乱暴をしでかすことがあった」などと記述している。また、これによる殺人事件の実例もあげている。

小説だが、皇道大本教をモデルのひとつとした高橋和巳『邪宗門』には、次のような記述もある。

「弾圧にさきがけて、ひのもと救霊会が商業新聞の槍玉にあげられた時、人々の好奇心をそそったのは不敬団体であるということよりも、むしろ淫祠邪教であり婦人信徒が催眠術によって姦淫されているといった無責任な風評だった。」

「行徳仁二郎は監房の中央の板床で座禅をくんでいた足をゆっくりと正坐にかえ、微笑して「どうぞ」と声をかけた。この刑務所に収監されたはじめ、覗き穴から睨みすえる看守の眼をにらみかえし催眠術にかけて相手を動けなくしてしまったこともあったが、もう、そういう稚気も消えた。」

その後、皇道大本教は第一次大本事件、第二次大本事件、第三次大本事件という過程をたどって衰退していくが、この大本の信者から、次のような流れが生まれている。

 ・植芝盛平  - 合気道
 ・岡田茂吉  - 世界救世教
 ・岸  一太 - 明道会
 ・谷口雅春  - 生長の家
 ・友清歓真   - 神道天行居
 ・中野与之助 - 三五教

また、第一次大本事件後に教団を離れた浅野和三郎の流れを下っていくと、江原啓之にも行き着く。彼は浅野和三郎の著書などを利用していると考えられる。

参考までに、浅野和三郎の催眠についての記述を引用する。
「催眠現象というものは、詰り術者の霊魂が被術者の霊魂に対して加えられる作用に外ならぬので、仮令形態方式が如何に変わろうとも、霊魂及び霊魂と人体との関係さえ明瞭になれば訳なく理解しうるものである。」 (『吹雪』より)

明治からの催眠術の流れは、現代に至るまでこうして姿を変えて存在している。

ところで、皇道大本教の衰退に関して、政府による弾圧よりももっと大きなインパクトがあったことがある。それを引き続き 高橋和巳『邪宗門』から引用してみよう。

「 何故か、何故だろう?
おそらく一つは隣組制度の確立、大日本婦人会の浸透にある。のべつまくなしに回覧板がまわり、朝は町会単位のラジオ体操とか神社や道路の清掃などの勤労奉仕、昼には廃品回収や防空演習や兵士の見送り、夜には公債割り当ての相談から、やがて日常の世話や相互監視。まじめな世話好きの人間はむやみと張りきり、人々は擬制的な近隣の連帯感のなかに自己を埋没させてゆく。宗教団体が行うべき日常的活動の大半は、政治にうばわれ、人々は新聞雑誌をにぎわす、より大規模な戦争の予感に、信条の相違を超えて団結したのだ。国民の生活は底辺にむけて地ならしされてゆく。中産層も教養人も貧乏人も、みな同じ格好をして歩き、同じ一つの号令で動く。それは素朴な人々にとっては一種の快感をともなう<変革>だった。かつては教団の地区・分苑の一員として信徒たちの世話をやいていた人々は、世話の種類こそ違え、別の自己満足の手段を与えられた。皆は同じ日本人であり、一体だ!生活は苦しいがなんとなく神経は昂奮し、日々には一種の張合いがある。合宿訓練や運動会にはしゃぐ子供のように、<心貧しき>人々ははしゃいでいたのだ。ある種の苦しみや規律を課せられることが、かえって人々のはしゃぎの原因となる。」

戦前の日本に流れる空気というものが描かれている。
国家規模でのマインド・コントロール。そして戦争へ。

邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)
(1993/06)
高橋 和巳

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人はね、[名前]さん、___しなくともいいんですよ。

私は、___しなくともいいと言っていますので、
あなたがそれをやっているところを想像することはまったく安全なことです。

・人はね、デイビッド、リラックスしなくともいいんですよ。

・人はね、エレーヌ、深くリラックスできるトランスにサッと入っていかなくともいいんですよ。

・人はね、ポール、こうしたパターンを毎日毎日練習することを想像しなくともいいんですよ。


「~しなければならない」という言葉は、人に何か制約やストレスを与えることがある。これを「~しなくともいい」ということで、想像することへの制約を取り除くことができる。想像する内容についても、社会的なきまりごとなどにとらわれない方が良いだろう。

この言い回しの巧妙なところは、「~しなくともいい」と言いながら、
実際にやってもらいたい行為を述べているところ。
「リラックスしなくてもいい」と言ったら、その言葉を聞いた人は、
いったんは「リラックスすること」を思い浮かべることになる。
その人にとっての「リラックスすること」についてのこれまでの経験、
その状態に自分を結びつけようとする心と身体の動きが始まる。

「~しなさい」「~すべきだ」「~しなければならない」といった、
押さえつけるような言い方に対しては無意識の抵抗を示すような人も
上記のような許容的な言い回しで、想像することがより容易になる。
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Author:青狐レオ
催眠や心理学について研究しています。 テーマは「催眠」「心理学」「精神医学」「コミュニケーション」など。その他には、マジック、アート、インプロ、映画にも興味があります。

 

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