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「実用催眠学」を読む(6)

第6章 ナンシー派の勃興

 それからフランスにおいては、先にも述べたとおり、リーボールがナンシー医大で暗示の新説を唱え、ナンシーの医師たちはリーボールの節に従って催眠術の研究をなすに至り、その結果、催眠学の上にナンシー派と称する一派が起こった次第だが、このときに至るまでは催眠術の研究はいまだに一般学者の注意をひきに至らなかった。ナンシー派が起こって、初めて一般の学者が催眠術の研究に注意を向けるに至った。だから、催眠術というものは、その40年ほど前にブレードによって発見されてはいたが、科学的基礎を得るに至ったのは、すなわちナンシー派が起こってからである。

 ナンシーの医学教授でベルンハイムという人がいる。この人はナンシーの実験室の主監デュモンという人に初めて誘導されて、催眠術の研究をすることになった。それからリーボールと一緒に研究をしていたが、ついにリーボールの説を採った。1884年、ベルンハイムは暗示に関する著述'De La Suggestion'を出版して、その研究の結果を公にした。この書において、ベルンハイムは催眠術が治療の上で効果をあらわした種々の実例をあげ、そして、催眠術の現象というものは、まったく心理的性質のものにすぎないということを論じている。ベルンハイムのこの書は、ナンシー派の催眠学説を知るのにきわめて有益なものである。

 この他、ナンシーにおいては、生理学者でボーニという人が生理学的方面から催眠術を研究して、催眠術の生理に関する著述をしている。また、ナンシーの法律家でリージアーという人は、法律上の観点からこれを研究して、催眠術と法律との関係を詳しく論じている。(この点については、『学理応用催眠術自在』第6編をご参照。)

 このようにナンシーに有力な研究家があらわれ、種々の方面からさかんに催眠術の研究をし、リーボールの学説を主張したので、結果としてパリのシャーコー派とナンシー派の間に論争を生ずるに至った。ナンシー派はますますその学術的基礎が固くなり、だんだん勢力を得て、ついにシャーコー派の根拠地であるパリにおいてすらも、大いに勢力を有するに至った。
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青狐レオ

Author:青狐レオ
催眠や心理学について研究しています。 テーマは「催眠」「心理学」「精神医学」「コミュニケーション」など。その他には、マジック、アート、インプロ、映画にも興味があります。

 

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